令和4年8月 わがまち紹介 瀬田の唐橋を征するものは天下を征する 水に浮かぶは膳所の城 大津市科学館・膳所城跡散策 写真で報告:2/4(膳所神社) |
膳所の由来 関西に住む人や歴史の好きな方以外は、「膳所」(ぜぜ)という地名を正確に読める人は少ないのではないでしょうか 膳所の歴史は古く、飛鳥時代の紀元667年(天智6年)に遡ります。 「天智天皇」は、飛鳥から琵琶湖西岸の大津に遷都し、「近江大津宮」を開きました。その場所が、現在の大津市の周辺です。 遷都に際して、天皇の食事を作る「御厨」が膳所に定められました。当時の膳所は、「浜田」という地名で呼ばれていましたが、琵琶湖で獲れた魚を中心とした料理を作り、天皇のもとへ届けていたことから「陪膳浜」と呼ばれるようになります。「陪膳」(ばいぜん)とは、天皇のお食事を給仕する意味です。 また、この浜田の地形が湖に突き出た崎の形状だったことから、やがて「陪膳の崎」と呼ばれるようになり、時代と共に膳の崎、「膳の前」(ぜんのさき)、「膳前」(ぜんぜん)に変化していきます。そして、さらに短縮されて「ぜぜ」の呼び名が定着したとのこと。 |
膳所神社北門 膳所城本丸入口の土橋の門 |
膳所神社表門(重要文化財) 膳所城二の丸から本丸への入口の門 |
膳所神社南門 膳所城の水門 |
膳所神社の狛犬(南側) |
膳所神社の本殿 |
膳所神社の狛犬(北側) |
膳所神社の表門前の鳥井 |
膳所神社の拝殿 |
膳所神社境内の松尾社と稲荷社 |