わがまち紹介
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令和4年8月 わがまち紹介
瀬田の唐橋を征するものは天下を征する
水に浮かぶは膳所の城
大津市科学館・膳所城跡散策
報告概要:1/4
月  日 2022年8月4日(木曜日)
集合場所 IR膳所駅 改札口 集合
訪問先 膳所神社・膳所城跡公園・大津市科学館
膳所神社の北門
 猛暑の時期、8月4日天気予報で小雨の予定でしたが、当日の朝になったら晴れていて本当に驚きました。
会員に行いの良い「晴れ女」と言われる方が幾人もいるのですね。
 予定どおり、IR膳所駅改札口に集合し、天気は良いのですが湿度が少し高い事もあり、京阪膳所駅から膳所本町迄京阪で行きました。両駅間は1km足らずですが、途中に錦駅があり、約5分で膳所本町駅に着きました。
 膳所本町駅前改札口を出ると、税所城跡の道と言われる道に出、右の森が膳所神社の北門にすぐ着きます。  まず、膳所神社の北門の前に膳所高等学校があります。
膳所高等学校は、禾津頓宮跡(あわづとんぐうあと)にあります。
禾津頓宮は、江戸時代には膳所藩の藩校である遵義堂が営まれた場所にあたります。
膳所神社
 膳所神社は、京阪電車膳所本町駅前にあり、膳所神社の表門の真正面が膳所城本丸跡地です。
祭神は豊受比売命(とようけひめのみこと)で、奈良時代の創祀と伝えられています。
膳所神社の表門前で
記念撮影
 中世には諸武将の崇敬が篤く、社伝には豊臣秀吉(1536-98)や秀吉夫人の北政所、徳川家康(1541-1616)などが神器を奉納したという記録が残っています。
 表門は、明治3年(1870年)に、明治維新とともに廃城になった膳所城から移築したもので、国指定の重要文化財になっています。
 本殿・中門および拝殿の配置直線上東正面の琵琶湖に向かって立っており、表門である本瓦葺の薬医門がどっしりとした構えを見せています。
 表門から約80m程度進むと旧東海道があり、ここに膳所城中大手門の石碑がありましたが、この道を更に進むと堀がありこの付近に中大手門があり、南北に長く広い侍屋敷があり本丸を守っていました。
 この侍屋敷と本丸の間には大きな堀があり堀を渡ると本丸の城門が在りました。
この城門が現在の膳所城公園の入り口の門です。
膳所城
膳所城跡公園入口門
記念撮影
 徳川家康が関ヶ原の合戦で大勝利した翌年(1601年)、天下普請の第一号として最初に築いた「膳所城」です。
 京都に通じる交通と軍事の要衝として「瀬田の唐橋を制する者は天下を制す」と言われた瀬田の唐橋の管理を担ったのも膳所藩でした。
橋の周辺に連なる松並木を維持するため、「並木奉行」という役職まで設けていたのです。
 この「膳所城」は、その昔「瀬田の唐橋、唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に映るは膳所の城」と美しい姿が謳われ、風光明媚な名城として東海道を行き交う旅人の観光名所となっていました。
膳所城は、典型的な水城でした。
湖の中に石垣を築き、その上に建てられた本丸と二の丸は湖に突き出すように建ち、4重4層の天守閣は湖面に浮かんでいるかのように見えたとのことです。
 ところが、寛文2年(1662)の大地震で大きな被害をうけ、以前の本丸と二の丸をつないで新たな本丸とし、三の丸を二の丸とする大改造がなされた。
その結果、北から北の丸、本丸、二の丸、三の丸が湖中にならび、その優美な姿は近江名所図や、近江八景の一つ「粟津の晴嵐」にも描かれている。
膳所城下“まち”
膳所の5つの村配置図
膳所城下まちは、西庄村(石坐神社)、木下村(和田神社)、膳所村(膳所神社)、中庄村(篠津神社)、別保村(若宮八幡神社)の5つの村にまたがり、その間を東海道が通る。
東海道に接して5つの村の氏神があり、戦時には境内に兵士を集める場所にもなったと考えられている。
現在は、5社を「膳所5社」と言われ、5月3日に合同で「膳所総祭り」が行われています。
町家は東海道の両側にならび、北の入口には大津口総門、南の入口には瀬田口総門があった。
東海道の西側にも武家屋敷がひろがっており、東海道と城下町を、東側の膳所城と上級家臣の武家屋敷、西側の下級家臣の武家屋敷が、両側からはさみこむ形となっている。
戦乱の時代が終わり泰平の世に移ると、膳所城は江戸幕府の将軍達が上洛する際の立ち寄りスポットになりました。
琵琶湖の雄大な風景を眺めながら心を癒やせるスポットです。
京都に通じる交通と軍事の要衝として「瀬田の唐橋を制する者は天下を制す」と言われた瀬田の唐橋の管理を担ったのも膳所藩でした。
橋の周辺に連なる松並木を維持するため、「並木奉行」という役職まで設けていたのです。
 しかし、膳所城は、江戸幕府が倒れたあと、明治3年(1870)に全国のどの城よりも早く廃城となり、城は取り壊されることになった。
その理由は、琵琶湖の中に築かれていたところから、風波によって破損し、修理や維持管理のために莫大な経費が必要となったからと言われています。
大津市科学館
膳所の5つの村配置図
 大津市科学館は、昭和45年(1970年)に、におの浜で開催された琵琶湖博覧会のテーマ館跡地に、青少年の科学教育の振興を図ることを目的に開館されました。
令和2年10月1日、開館50周年を迎えました。
平成4年に、生涯学習センターが建設される際、科学館も、展示ホール・プラネタリウム・天文ドーム・実験室・工作室を設けて移転してから、滋賀県唯一の科学館として大津市民のみならず、県内外から多くの利用が見学に来られているとの事です。
 科学館の展示ホールは2階と3階にあります。
2階は、「生命と自然」をテーマに、地球を宇宙から見たり、滋賀と琵琶湖の環境や生い立ちを知ったりすることが出来るように滋賀県で採取出来る鉱石など展示しています。
 3階は、「科学のしくみ探検・体験」がテーマの、実体験を通して科学の原理や仕組みについて学習できるようになっていて、「竜巻・台風実験装置」、「ロボットプログラミング体験装置」など様々な科学の基礎・応用を、いろいろな実験装置を使って体験できる「科学の基礎・応用展示」で構成されていて、小学生の3年から5年生には本当に楽しいく体験できる装置が多くあります。
大津市科学館展示品の見学
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