わがまち紹介
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令和3年11月 わがまち紹介
嵯峨野は四季折々の自然と触れ合うことのできる"まち"
歩いていてワクワクするような町並:嵯峨鳥居本
歴史を感じながら変わりゆく風景を楽しみ散策しましよう!!
奥嵯峨野を訪問して【感想】
奥嵯峨野を訪問して【感想】

記:宝角 弘枝  

 私が、小学校2年生の3学期に、この嵯峨野の地に引っ越ししてきました。戦後、日本が、立ち直りつつある日々で、朝早くから母がおくどさんでご飯をたくことから一日が始まりました。昔の人は朝早くから夜遅くまで働きづめでした。
 私の子供の頃、夏休みには嵐山の大堰川で泳ぎ、天龍寺(天龍寺の正式名「臨済宗・天龍寺派 大本山天龍寺」を知ったのはのちのことです)の庭園で缶蹴り、鬼ごっこをして、夕方薄暗くなるまで遊びほうけたものでした。
 春は、桜。初夏の新緑。秋の紅葉。冬の雪化粧と底冷え。京都嵯峨の豊かな四季の中でのびのびと育ってまいりました。
 令和3年11月に、VG槻輪の皆様と「わがまち紹介」活動で嵯峨鳥居本散策が予定されました。代表者・会員と私の3人で下見に行きました。それは、9月1日の暑い日でした。
 渡月橋を渡り奥嵯峨の鳥居本を目指す若者向けのコースです。緩やかな上り坂の連続で、天龍寺→竹林小径→野々宮神社→落柿舎→小倉山二尊院→化野念仏寺→愛宕神社一の鳥居→平野屋→愛宕(おたぎ)念仏寺を散策いたしました。帰りは嵐山まで緩やかな下り道を阪急嵐山駅まで楽に戻ることが出来ました。
 VG槻輪の参加者のウォーキングには緩やかな登り坂でも少しきついと思い、10月12日に二度目の下見を行い、色々検討した結果下記の散策ルートに決めました。
鳥居本のジオラマを囲んで、館のスタッフの説明を聞く
嵯峨鳥居本町並み保存館
 阪急嵐山駅から京都バスに乗り、江戸時代には愛宕山の頂にある愛宕神社の門前町として賑わった鳥居本のバス停で下車しました。下車して30mほど歩くと、狭い石段を下ると旧愛宕街道にでます。
 嵯峨鳥居本には、昔の町並みが残ります。国の「嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
 京都市が開いた「嵯峨鳥居本町並み保存館」は、京町屋を復元しており、外観は虫籠窓、紅殻格子、内部の土間におくどさんや井戸、居間に上がると精巧な模型等で嵯峨鳥居本の全体を理解できます。
 まず、奥嵯峨野の出発点である愛宕念仏寺を参拝することにしました。
愛宕念仏寺住職の西村公栄さんのわかり易い説明を聞く
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
 愛宕念仏寺(大正時代に奥嵯峨の地に移築)の境内には、参拝者の手によって彫られた1200躰の石造の羅漢さんが表情豊かに並び見ごたえがあります。
説明して下さったのは、現住職の西村公栄さんです。父上の故西村公朝氏は、仏像彫刻家で有名な方で高槻市富田地区に縁のある方でした。
 参拝者が自らの手で想いを込めて彫った羅漢の指導もされました。その羅漢さんを興味深く眺めると、父上の優しいお人柄が伝わってくるような気がします。
また、山の斜面に建つ「三宝の鐘」も風情があります。三つの鐘の音律で仏の心を伝える鐘とされています。


説明を聞く会員達


紅葉と多宝堂・羅漢像


祈りを込めて「三宝の鐘」


並ぶ羅漢像と紅葉


愛宕念仏寺から愛宕街道(府道137号)を下って愛宕神社一の鳥居へ向かいます。
愛宕街道から見る「一の鳥居」と右側は「平野屋」
平野屋
 平野屋は、火の要慎の神、愛宕神社詣での古道(愛宕街道)の愛宕神社一の鳥居の畔にある『鮎茶屋(あゆよろし)平野屋』です。
 平野屋が建てられたのは、およそ400年前の江戸時代初めとのことです。
母屋の多くは当時のままで、一番新しい奥のお座敷でも天保年間の頃にさかのぼります。
 平野屋の遠祖は愛宕神社と親交が深く、そのご縁で一の鳥居の畔に茶店を構えることになったそうです。
 愛宕神社は、江戸時代から「お伊勢七たび、熊野へ三たび、愛宕さんへは月詣り」庶民の間でそううたわれるほど、広く信仰を集めていました。一の鳥居から、愛宕神社まで五十丁。
平野屋の前に磐座する
「上り亀石」
 平野屋の店の前には、愛宕山参詣の安全を祈願する「上り亀石」と呼ばれる磐座があります。愛宕山は長い急坂が続くので、亀のようにゆっくり着実に登りなさいという意味があるそうです。愛宕さんに登る前に石を撫でると楽に登れるそうです。
平野屋さんでは、この石に綱をはって祀られ、毎日赤ご飯と水・酒・塩を供えられているそうです。
 対の石は、愛宕山山頂の石段手前左に祀られいる「下り亀石」です。愛宕山のように長い登山路では下山時に足を痛めることも多いので同じ様に祈願して下山したそうです。
 平野屋は、400年の古くから愛宕詣での参拝者の方々を、名物の「志んこ(しんこ)団子」と「お茶」をふるまいもてなしてこられました。
 また保津峡谷に近い立地から、鮎問屋を営んでおられました。
平野屋の奥座敷で郷土料理を出して頂き
14代目女将さんのお話と15代目女将さんのサービスを受ける
保津川水系の清流で獲れた新鮮な鮎を、一晩休ませ朝一番で「鮎もちさん」と呼ばれる担ぎ手が両天秤で京の料亭に卸しておりました。やがてお客様に鮎料理をお出しするようになり、今日に至っておられます。
 現在も平野屋の料理は、春は若草道:山菜・筍・川魚、夏は緑陰道:天然鮎・鯉、秋は紅葉道:松茸・柚子ゆどうふ、冬は杣道:ぼたん鍋・寒川魚鮎料理と湯豆腐など季節に合わせて伝統の料理を出しておられます。
 現在も愛宕神社は火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ「火迺要慎」と書かれた火伏札は有名で多くの厨房に張られています。熱い信仰をいまだに続けております。
 そのもとで四百年の歴史をつないできた平野屋は、戦乱、風雪、災害等を乗り越えて、今あることに意義を感じます。
 現在の女将は14代目。先代女将と共にお客様をおもてなししておられます。今も昔からの赤前垂れで15代目若女将とともにお客様をお迎えしておられます。
 今も昔と変わらず、毎朝おくどさんに火を入れることから一日が始まります。
 この嵯峨鳥居本の自然の風景と伝統ある料理の味とこの建物を愛して遠くから訪れるお客様が多く、当時そのままの姿を残すことに努め、今日までやって来られました。
 これからも末永く続けて頂きたいと常に思っています。
 今の時代は、歴史的建造物を維持して次の世代につないでいくことが大変難しくなってきています。
 延々と続けてきた生活の営み、旅人の癒し、客の喜びを探しながらこれからもこの北嵯峨を守り続けてほしと感じた茅葺屋根の鮎料理屋です。


鳥居本町並み保存館の
平野屋模型


一の鳥居の畔にある
平野屋の暖簾


「平野屋」の「上り亀石」
前は愛宕古道街道


「平野屋」さんの
お座敷


塀の奥が平野屋の奥座敷
鮎の放流池が見える


平野屋の「鮎茶漬け上」
鮎のどんぶり


平野屋の一服(いっぷく)
「志んこ(しんこ)団子」


平野屋の前で記念写真
上の写真クリックして

秋の化野念仏寺
化野念仏寺(あだしの念仏寺)
 平野屋からは、嵯峨鳥居本の町並みの散策と紅葉を楽しむコースです。
9月と違って奥嵯峨の街道沿いに菊や萩やススキと秋風が吹く中「むしこ窓」を持つ町家風民家、茅葺きの農家風民家のある街道を背に化野念仏寺サスペンスでたびたびテレビに放映され、私たちを楽しませてくれております。
実は古来より葬送の地で、風化した石仏を葬り、永遠の別離と深い悲しみの漂うお寺です。
愛宕念仏寺とは趣が違います。
皆様の目で確かめるのも散策の醍醐味です。
 さらに下つて8体地蔵:祇王寺:二尊院(紅葉の名所):常寂光寺(小倉百人一首編纂の地):落柿舎:御かみ神社:大河内山荘(ここからは京都を守る比叡山も見えて、広大な山の自然庭園でおいしい空気、身も心も癒されます):竹林小径:野々宮神社:臨済宗大本山天龍寺の境内にある慈齋院の天上に描かれた小さい龍【故里見画伯】を見学して帰路に着きました。
 なによりも奥嵯峨の秋を堪能して、歴史を探り神仏とくに山に守られた地域は、そこに住む人々の生活が守られていると感じることができました。
 奥嵯峨ほど紅葉の名所が密集しているところはないと思います。
 今後も風雨に耐えて残った、価値ある自然や歴史建造物を大切に見守って頂きたいと思いました。
 意義深い尊い散策でした。
   2021年11月12日
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