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令和元年12月 わがまち紹介
京の四季がすべて東山のなかに
東福寺で晩秋の紅葉を鑑賞
(その1/3:東福寺)

月  日 2019年12月5日(木)
集合場所 JR東福寺駅改札出口
訪問先 晩秋の晴れの日(5日)、東福寺の晩秋の紅葉観賞をしました。
今年の夏は暑かったので紅葉の時期も少し遅く8日迄延期された。
落ち葉モミジや満天星つつじの紅葉が綺麗でした。
紅葉鑑賞後、東福寺駅前の80年からの歴史ある「寿司丹波屋」で京の「おばんざい定食」を頂いて解散しました。

京都市東山区
 京都を懐かしむ人々の思い描く景観は、なだらかな東山の山並みと、清らかな鴨川の流れであった。 その山川の間に細長く展開するのが東山区の境域である。北は三条通をもって左京区につながり、南は十条通の延長線で伏見区と境を接し、東山の山稜を越えると山科区となる。鴨川の西は中京・下京・南の各区である。
東福寺
手前より思遠池・三門・本堂
 京都市東山区の東南端、伏見区と境を接するあたりにある。
この地には延長2年(924年)に藤原忠平によって建てられた藤原氏の氏寺・法性寺の巨大な伽藍があった。
(法性寺は、JR・京阪東福寺駅近くに小寺院として存続している)嘉禎2年(1236年)、九条道家(摂政)は、この地に高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する大寺院を建立することを発願、寺名は奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」とした。
5丈の釈迦像を安置する仏殿の建設工事は延応元年(1239年)から始めて、完成したのは建長7年(1255年)であった。
高さ5丈の本尊釈迦像は元応元年(1319年)の火災で焼失、14世紀半ば頃に再興されるが、1881年(明治14年)の火災で再び焼失している。
なお、東福寺には巨大な「仏手」(現存部分の長さ2メートル)が保管されており、旧本尊像の左手部分のみが明治の火災の際に救い出されたものと推定されている。
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