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平成30年10月 わがまち紹介
京都市中心部、歴史的建造物とともに現代を生きるまち
同志社大学今出川キャンパス・新島旧邸見学
(その1/2)総括

月  日 平成30年10月18日(木)
集合場所 京都地下鉄今出川駅改札出口
訪問先 同志社大学今出川キャンパス・新島旧邸
良心碑
新島襄の教育の理念
 秋晴れの10月18日、京都地下鉄今出川駅改札出口で参加者を確認し、同志社大学今出川キャンパスのハリス理化学館同志社ギャラリーに直接行き、スタッフの方の説明指示を得て見学しました。
館の前に定刻の11時半少し前に、スタッフの元さんと学生ガイドの長谷さん(経済学部)・金田さん(法学部)が待っていて下さいました。
両学生さんに、緑豊かな今出川キャンパスを説明して頂きました。
説明は、真剣に丁寧にして頂きました。本当に有難うございました。
新島旧邸のビデオ説明を見る
昼食は新町キャンパスのHamac de Paradis寒梅館で、美味しい定食をみんなで頂きました。
その後予定通り、タクシー組と徒歩組に分かれ、新島旧邸を訪問しました。ここでもスタッフの方々にお世話になりました。
帰りに新島旧邸を背景に全員で記念写真を撮り、隣の喫茶店で休憩し、京都御苑を散策して全員元気で帰宅しました。


京都市上京区
 京都の中心部の区で、国宝や歴史的建造物とともに、現代を生きる人々の暮らしが程よく調和し、今日の美しい京都の街に、旧平安京の面影を感じることができます。
京都市上京区を代表するものと言えば、「京都御所」があげられます。上京区の北部は、「西陣機業地」として栄え、美しい「西陣織」は基盤産業のひとつとして、地域活性化施策の柱となっています。また、京都五花街の中でも最古といわれる「上七軒(かみひちけん)」も有名な街並みのひとつです。
交通網は、京都市営地下鉄・烏丸線と市バスが主なものとなっています。大通りから一本入れば細い道も多いため、徒歩や自転車で行き交う人々も多くみられます。
教育・文化面での特徴として、同志社大学、京都府立医科大学などの有名大学、京都市歴史資料館、埋蔵文化財研究所、考古資料館など、学術に供する施設が充実している点も挙げられます。

同志社大学
 同志社大学は日本の私立大学で、1920年に設置された。明治六大教育家の一人である新島襄が同志社を創立しました。
新島襄(1843?1890)は、21歳で幕末の日本から密出国して渡米しました。
人びとが奴隷扱いされ、息苦しい封建社会に束縛されることに我慢ができず、自由と人権を求めての冒険でした。
留学中、キリスト教徒となった新島は、しだいにひとつの夢を膨らませました。
「自由」と「良心」に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも、という夢です。
10年振りに帰国した新島は、さっそく京都に同志社英学校を創立しました。
同志社とは、「志を同じくする者が創る結社」です。
その原点は、もちろん新島の志です。
今出川キャンパス 京都市中心部、京都御所の北側に位置し、名刹・相国寺に隣接した今出川校地は同志社大学の誕生の地であり、143年に渡る歴史そのものと言えます。
キャンパス内には、重要文化財が5棟あります。
また、古都の芸術・文化の伝統は、同志社大学の学問に独自の存在感を与えています。
この京都文化を実感する経験こそ生涯の財産と言えるでしょう。

新島旧邸
 新島襄の私邸で、ボストンの友人J.M シアーズの寄付によって建てられました。
この場所は同志社英学校が開校した際に仮校舎として借家した高松保実邸の跡です。
外観はいわゆるコロニアルスタイルの洋風ですが、造りの基本は和風寄棟住宅です。
間取りは日本的な田の字型であり、壁は柱を露出させる旧来の真壁造りとなっています。
床が高く、三方にべランダをめぐらし窓には鎧戸をつけ、白い壁面に茶褐色の木部を見せる簡素な二階建住宅です。
設計者・施工者とも明らかではありませんが、当時の同志社教員で医師・宣教師でもあったW. テイラーの助言を得ながら、新島襄が設計したとも伝えられています。
日本人のために建てられた和洋折衷の木造二階建て住宅として、また、同志社創立者の旧居としての価値が認められ、昭和60年(1985)に京都市指定有形文化財に指定されました。
平成2年新島襄生誕150年記念事業の一端として全面解体保存修理が行われ、工事完了の平成4年以後一般公開されて現在に至っています。
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