VG槻輪(きりん・kirin)VG槻輪わがまち紹介 わがまち紹介
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平成30年8月 わがまち紹介
淀川が運ぶ土砂が堆積してできた扇状地のまち
江崎記念館(近代化産業遺産認定)見学
大阪市西淀川区
(その1/2)総括

月  日 平成30年8月23日(木)
落ち合い場所 JR塚本駅 改札出口
訪問先 江崎記念館
 8月23日は、台風20号が岡山に上陸するとの情報でしたが深夜から24日と考え、計画どおりJR塚本駅に集合し、江崎記念館を訪問しました。
記念館は、昭和47年、創立50周年記念事業として社員教育用に開設されました。
操業以来の資料、製品、販売品をはじめ、創業者江崎利一氏のゆかりの品々が展示され、展示品の一部が国の近代化産業遺産に認定され一般公開されるようになり見学させて頂きました。
昭和6年当時の自動販売機の映像を見入る
 江崎記念館では、コーポレートコミュニケーション部の山内さんに館内の説明を丁寧にして頂きました。
 映画付きグリコの自動販売機には驚きました。
昭和6年東京を中心に百台設置された。
行列ができるほどの大人気だったようです。
お店でグリコの箱の菓子が10銭で、自動販売機に10銭入れると映画が始まり、映画終了後にグリコとおつり2銭が出てきます。
グリコは普通に買うより自動販売機の方が安い。
もう一度10銭を入れると、その続きの映画が流れて、映画終了後にグリコとおつり2銭が出てくる。
この時代を先取りした広告と楽しみながら物を買いたくなる斬新な考えに感心しました。
アーモンドの木
 帰りに館外にアーモンドの木を紹介して頂きました。
丁度、実が熟していました。
果皮の縫合線に 沿ってはじけたように裂け、核(タネ)が露出していました。
固い核の中にある、仁が食用になるアーモンドとの事です。

大阪市西淀川区
 淀川が運ぶ土砂が堆積して土地が形成された。
古代は難波八十島とも呼ばれ、多くの島に分かれていた。
御幣島・姫島などの地名は、この地が島だったことの名残だとされる。
古代には現区域付近一帯は住吉大社の領地だったといわれる。
中世までは漁業を主としていたが、江戸時代以降は新田開発がおこなわれ、漁業とともに農業がおこなわれるようになった。
明治時代後期以降地域に工場が進出した。
昭和時代初期(1930年代頃)から重工業地帯となった。
その後1970年代以降は大工場の撤退が相次ぎ、跡地に住宅開発がおこなわれている。

江崎グリコ株式会社
グリコのシンボルマーク
ゴールインマーク
当社は、大阪府大阪市西淀川区歌島四丁目に本社を置く製菓会社である。
コーポレートメッセージは、"おいしさと健康"。
英語によるメッセージ表記は当初「GOOD TASTE AND GOOD HEALTH」とされたが、1992年(平成4年)4月付で現行のCIが導入されたのに合わせ、「A WHOLESOME LIFE IN THE BEST OF TASTE」に改められている。
大阪市中央区の道頓堀に架かる戎橋脇には西日本最大級のネオンサイン(初代は1935年(昭和10年)点灯開始、現在は2014年(平成26年)10月点灯開始の6代目)があることでも有名。
男性が両手と片足を上げたポーズをしている絵柄は、同社が最初に発売したキャラメル菓子の「グリコ」のパッケージからとったもので企業のシンボルにもなっており、「ゴールインマーク」と呼ばれる(一般には「グリコポーズ」と呼ばれる。

江崎記念館(近代化産業遺産認定)
グリコ記念館外観
 赤い箱とゴールインマークを商標として出発した世界的にも有名な菓子メーカー「江崎グリコ」の企業博物館です。
大正11年(1922)、江崎利一氏によって創立された江崎グリコは、有明海の漁師らが捨てていたカキの煮汁に含まれる栄養価の高いグリコーゲンをキャラメル製造に用いてその美味しさが評判になったことが原点です。
その後は、ビスコ、プリッツ、ポッキーなど日本はもちろん、アジアやヨーロッパ各国でも親しまれる様々な菓子を製造した。
現在は大阪市西淀川区に本社を置き、菓子のほかにも冷菓、食品、健康食品、乳製品、食品原料、化粧品新素材などの分野で企業活動をおこなっている。
本社の敷地内にある江崎記念館では、江崎グリコのそんな歴史をはじめ、数々の商品のパッケージやこれまでの広告・キャンペーン、グリコのおもちゃの数々、そして創業者・江崎利一氏について展示・紹介されている。
懐かしいおもちゃにも出会えるかも。

グリコ創業者 江崎利一が残した、魂の言葉とは
創設者江崎利一氏をしのぶ部屋
江崎利一氏の銅像
グリコの創業者 江崎利一が、その97年の生涯の中で残した数々の言葉。
商売を天職に時代を駆け抜けた創業者の思いは、今なお、驚くほどリアルでストレートに、私たちの心に響いてきます。
きびしくも思いのつまった言葉たちには、ビジネス社会でよりよく生き抜くために、ちょっと行き詰まった時にも思い出したい、心のビタミンがいっぱいです。

商売は2×2=5(ににんがご)。
当たり前を超える努力を重ねれば、成果は増える。
 ビジネスに取り組む以上、いわば「2×2=4(ににんがし)」のような当たり前で、他人と同じような考え方では、それ以上の進歩も発展ない。
それが、江崎利一が生涯持ち続けた創意工夫、「2×2=5(ににんがご)」の精神です。
たとえば、どんな小さなことであってもバカにせずに考え工夫をしてみること。
考える努力をすること。
「努力」と「経験」を"判断・直感・工夫"などで掛け合わせることによって「不可能を可能にする」。
つまり、人並みの考えをせず、あらゆる場合を科学的に検討して独創的な活路を発見し、独創的なアイデアを発揮することは重要だということです。
商売は、もうけたりもうけさせたり。
共存共栄がなかったら、発展はない。
 必死になって仕事を進めていると、つい自分の利益だけに考えはいきがち。
でもちょっと待ってください。
相手の心を動かすには、その相手にとってよい話であることがとても重要ですよね。
利一は、子ども時代の恩師に「商売というものは、自分のためにあるとともに、世の中のためにあるもの。
商品を売る人は、物を売って利益を得るが、買う人もまたそれだけの値打ちのものを買って得をする。
この共存共栄がなかったら本当の商売も成り立たないし、発展もない」と諭され、以来、この教えを生涯の信念として守り続けました。
物事がうまくいかないとき、今一度頭を切り替え「相手にとってもトクになる話かどうか」を考えてみる。
ピンチの時に、ぜひ思い出したい視点ですね。

近代化産業遺産
キャラメルを造る真空釜
 近代化産業遺産(Heritage of Industrial Modernization)は、日本の経済産業省が認定している文化遺産の分類である。
2007年(平成19年)11月30日に33件の「近代化産業遺産群」と575件の個々の認定遺産が公表された。
さらに2009年(平成21年)2月6日に近代化産業遺産群・続33として、新たに33件の「近代化産業遺産群」と540件の個々の認定遺産が公表された。
 幕末・明治維新から戦前にかけての工場跡や炭鉱跡等の建造物、画期的製造品、製造品の製造に用いられた機器や教育マニュアル等は、日本の産業近代化に貢献した産業遺産としての価値を持っている。
しかしこれらの産業遺産は、よほどのもの以外はその価値が理解されにくく、単なる一昔前の産業設備として破却されてしまうことも多かった。
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