日
平成19年11月 わがまち紹介 "日本の社家の町にある公立植物園" 京都府立植物園 |
月 日 | 平成29年11月16日(木) | ||||||||||
集合場所 | 京都府立植物園 北門 | 訪問先 | 植物園内散策 写真の撮り方を楽しもう!! |
||||||||
その他 |
1)秋の薄曇りの絶好の写真日よりでした。 2)植物園北門前で、カメラで写真の撮り方の指導をして頂く岩崎さんが迎えてくれました。 彼は植物園の植物についても非常に詳しく、園内の珍しい木々の説明と写真を撮るのに良い場所・取り方等を教えて頂きました。 本当に有難う御座いました。 |
||||||||||
記
|
|||||||||||
京都市左京区下鴨 日本の首都が平安京に移る前から賀茂氏一族が住んでいた地域であり、賀茂氏の氏神であった賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)のうち、下鴨神社の周辺を指して下鴨と呼ばれるようになった。中世には下賀茂とも呼ばれていた。上賀茂・下鴨神社の社領であったため近代に入るまで仏教寺院が建てられたことはなく、のどかな農村地帯であった。 江戸時代以降は愛宕郡蓼倉郷下鴨村に属していたが、1918年(大正7年)に京都市上京区に編入された。後に上京区が分割されたため左京区に属することになった。1934年(昭和9年)には北大路通が整備されるとともに京都市電北大路線が高野まで開通して交通の便が良くなり、これを契機として住宅地の開発が進んだ。 また、大正から昭和初期にかけて京都府立植物園、京都府立大学、洛北高校、京都府立総合資料館、松竹京都撮影所(後に太秦へ移転)などが建てられ文教地区ともなっている。 上賀茂神社と下鴨神社
それぞれの神社の正式名称はというと… ・上賀茂神社を「賀茂別雷神社」 ・下鴨神社を「賀茂御祖神社」 さらに、それぞれのご祭神も「賀茂別雷神」と「賀茂建角身命」となっていて正式名称で見ていくと、どちらの神社にも「賀茂」という文字が使われていたのが分かります。 京都府立植物園
京都府立植物園は、京都市街北部の平坦地に位置し、東は比叡山、東山連峰を望み、西に加茂の清流、北は北山の峰々を背景とした景勝の地にあります。 大正6年(1917)に着工し、同13年(1924)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園しました。 第2次大戦中は園内に菜園が設けられ食糧増産の場になり、戦後は、昭和21年(1946)から12年間連合軍に接収されました。このとき多くの樹木が伐採されるなど苦難の時代が続きましたが、昭和36年(1961)4月、憩いの場、教養の場としてその姿を一新し、再び公開しました。 再開後も園内整備事業を推進し、昭和45年(1970)に「日本の森」を、同56年(1981)には、「洋風庭園」を造成しました。平成4年(1992)4月に「観覧温室」、「植物園会館」を竣工、同年12月には「北山門」を整備されました。
園内の南半分には、正門付近の1年草を中心とした四季の草花が鑑賞できる正門花壇と観覧温室及びバラを中心とした造形花壇、噴水や滝のある沈床花壇よりなる洋風庭園などの人工的な造形美で構成されています。中でも、観覧温室は、キソウテンガイやバオバブなど世界の熱帯植物が身近に観賞でき、規模、植栽植物の種類ともに日本最大級の温室となっています。 これに対し、園の北半分には、園内唯一の自然林である半木(なからぎ)の森や日本各地の山野に自生する植物をできるだけ自然に近い状態で植栽した植物生態園、およびその周辺には、わが国の風土に育まれ、古くから栽培されてきた桜、梅、花菖蒲などの園芸植物や竹笹、針葉樹などを植栽した日本の森として、より自然的な景観を形づくっています。また、北西部には四季彩の丘があります。 植物園会館には、研修室、展示室、園芸サロンの施設とともに、生涯学習の拠点となるよう植物に関する図書を整備し、植物園に対する多様なニーズに応えるよう努められています。また、1年を通じて各種展示会をはじめ、植物園教室、観察会などの催しや、植物園芸相談などを行っています。 11月下旬、木々も色づき、天気も良く植物園内の散策と写真撮影を楽しみました。 2017年10月台風の被害
2017年秋の台風で多くの古木や太い枝が折れた。 有名なクスノキの並木も多くの枝が折れ手入れされて透け透け通りになっていました。 |