平成19年2月 わがまち紹介 日本の初春を代表する花"梅"のまち:京都北野天満宮 |
月 日 | 平成29年2月22日(水) | ||||||
集合場所 | 阪急西院駅 | 訪問先 | 北野天満宮 |
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その他 | 2月25日は北野天満宮は梅まつり弘法で人出が多いので22日に開催しました。 | ||||||
天 候 | 冬の寒波時期の晴れの間に一日でした。 | ||||||
記
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立春の青空のもとで、赤やピンクや白の綺麗な梅を見ながら神社の中を散策を楽しみました。 上京区の成立 京都の町を南北に分けた「上辺」「下辺」という表現は,平安時代末期頃から使われるようになり、中世には「上町」「下町」、あるいは「上京」「下京」と呼ばれるようになった。 当時の区画では,大内裏(宮域)の南辺を東西に通ずる二条通を境として上(北)、下(南)両京に分けられたようです。 この頃の上京は、中心に御所と室町幕府の「花の御所」を擁し、北野天満宮、相国寺などの大社名刹、そして,それらの需要を満たす多くの商・手工業者が集まって町を形成していた。 「応仁の乱」後には機業地としての西陣が誕生し,上京の政治的、生産的な性格が定まった。 明治以降の行政区画としての上京区、下京区の2区制も,古来の上京の名称や歴史的伝統を基礎としていたが、都市化が進むにつれて近郊を含んで膨張したため、その区域は次第に分割され,今日の上京区という行政単位が生まれるようになったのです。 北野天満宮 菅原道真を主祭神とし、相殿に中将殿(道真の長子・高視)と吉祥女(道真の正室)を祀っています。 北野天満宮の最大の特徴は、日本で初めて『人』を主祭神としたことです。 日本の神は山や海などに宿るとされていて、山や海そのものを崇めていました。 神社などの建築物を建てて崇めたのは、仏教が影響していて、崇拝の対象物を建物に入れて儀式や礼拝を行う行為はそれまではなく、中国から仏像・仏殿が入ってきて人々が崇めるようになって、その影響で神道にも建物が出来るようになりました。 それに伴い信仰の対象物が必要になり、それは天照大神や素戔嗚尊であったりしましたが、それはあくまで伝説上の人物で、実在の人物の死者ではありませんでした。
北野天満宮の祭神である菅原道真が太宰府に左遷された時に詠んだ有名な歌があります。 都で出世街道を突き進み前途有望だったにも関わらず、その有能さを妬まれ左遷されてしまった道真公。 太宰府へ旅立つとき、日頃愛していた梅の木に別れを告げた時の歌とされています。 この梅は道真を慕って、一晩のうちに都から太宰府に飛んでいったという伝説があります。 この伝説により北野天満宮の神紋には梅があしらわれています。 北野天満宮には50種約2千本の梅が植えられた。 2月初旬から3月末までは梅苑も公開されます。 上七軒 室町時代に北野天満宮の再建の際に残った資材を使って7軒の茶店を建てた。 これが「上七軒」の由来で、桃山時代に豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折に茶店側は団子を献上したところ大いに誉められて以来、また西陣の結びつきで花街としての繁栄を極める。 上七軒歌舞練場 華やかな歴史を刻み続ける舞台と風雅な庭園を備える文化施設です。 場内にある喫茶「茶ろん」には昼食をお願いした。 メニューは少ないけれど、かなり丁寧な食事を提供して頂いた。 最近食べていなかったのでオムライスを頼んだ、最初にサラダが出て来てバランスよくいろいろ食べられた。 予約もせずに入ったので料理の時間を要し会員とコミュニケーションの時間がとれました。
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