平成28年6月 わがまち紹介 花緑と歴史と眺望のオアシス "三次元の立体を味わえる" 須磨離宮公園 |
月 日 | 平成28年6月1日(水) | ||||||||||||||||
集合場所 | 山陽電鉄 月見山駅 改札出口 | 訪問先 | 須磨離宮公園・須磨寺 離宮公園の名前の由来を味わいながら公園内を散策しました。 |
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その他 |
1)バラの庭園(王侯貴族のバラ園)でもあります。 須磨離宮公園のスタッフの方(稲葉さん)に、公園の歴史や公園内の施設及び公園内のバラの説明を長時間、分かりやすく説明をしていただきました。 本当にありがとうございました。 2) 公園散策後、全員、源平ゆかりの古刹「須磨寺」(特別公開中)を訪問しました。 |
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天 候 | 観光日和 | ||||||||||||||||
記
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神戸市須磨区は華麗なる別荘地だったことをご存知でしょうか。 古代まで田畑も少なく、浜辺に漁師の家が点在するだけの寂しいところだったと言われています。 しかし、西国から畿内への入口にあたり、交通の要衝であったため奈良時代には関や馬屋が置かれ、平安時代には「源氏物語」にも見られるように、都からさほど遠くなく、風光明媚で温暖な気候であったことから貴族の隠棲の地にもなりました。
月見山 月見山駅改札を出て、豆腐店と郵便局の間の道に入り、路面にプリントされているバラのイラストをたよりに、ゆるやかな坂道を登っていくと「王侯貴族のバラ園と文化植物園」神戸市立須磨離宮公園へと進みます。 ここは、 千年以上の歴史を持つ由緒ある「月見」の名所として知られています。 源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族在原行平が、配流されたこの地の月に、都で見た名月をだぶらせて都を偲んだとされる場所が須磨離宮公園内の「月見台」です。 「月見山」の地名や駅名のルーツになっています。
須磨離宮の正式名は「武庫離宮」です。 天皇のご宿泊を目的に明治41年2月10日に造営が決定され、大正3年に完成しました。 往時の離宮は武庫離宮と言い、この名称は『日本書紀』に「孝徳天皇が有馬温泉からお帰りになる途中に武庫の行宮にお泊りになった」 と記されていたことが由来です。 敷地面積約6万3,700坪、建物は36棟からなる1,544坪の総檜造り、白木の御殿だったそうです。 明治天皇は、万葉集にも詠まれた須磨への行幸を楽しみにしておられたそうですが、完成を待たずに崩御。 竣工したのは1914年(大正3年)のことでした。 完成してすぐ大正天皇、当時皇太子であった昭和天皇やラストエンペラーとして知られる満州国溥儀皇帝らがご利用になられました。 もともとは、シルクロード探検で知られる西本願寺大谷光瑞氏が1902年(明治35年)に西須磨の高台に月見山に地を買い上げ設けた別邸でした。 大谷光瑞はシルクロードを探検したりした非常に行動半径の広い活動的な人だったようで、そんな膨大な資料を整理するためにこの別邸を利用したようです。 宮内庁に買い上げられた代替地として光瑞は岡本の地を与えられ、二楽荘を作られました。 武庫離宮跡の遺跡 離宮公園には正門〜馬車道〜中門広場をはじめとして武庫離宮の史跡が数々残されており、当時の面影が残っています。 離宮道
正門
馬車道です
中門と御車寄
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