平成27年11月 わがまち紹介 "京都の奥深さが見えてくるまち山科" 毘沙門堂門跡(その1/2) |
月 日 | 平成27年11月19日(木) | ||||
集合場所 | JR山科駅 改札出口 | 訪問先 | 毘沙門堂(びしゃもんどう)門跡
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順路 | JR山科駅 → 毘沙門堂門跡 → 毘沙門堂参拝・拝観 → 沢ノ川添えハイキング →山科疎水路 JR山科駅 | ||||
その他 | 1)毘沙門堂門跡 拝観料500円/人必要です。 2)毘沙門堂門跡では堂内の説明をお願いしています。 3)動く屏風絵・晩翠園などを鑑賞する予定です。 4)天気の場合は弁当持参下さい。 5)時雨決行です。前日の午後6時のNHKの天気予報で別途連絡します。 | ||||
天 候 | 晴れ・薄曇り | ||||
記
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山科の変遷 山科一帯は,すでに,平安時代に山城国宇治郡山科郷という名で呼ばれていました。 古くは縄文時代からの足跡が今も残されており、芝町遺跡や中臣遺跡から発掘された土器石器類、万葉ロマンの世界をしのばせる鏡山・天智天皇陵のほか、平安時代から存在し、数々の伝説を秘める有名社寺や中世に広大な寺内町を築いた山科本願寺跡、江戸時代の風景を思い起こさせる旧東海道の遺跡など、脈々と 受け継がれてきた歴史をたどるのに大変恵まれた地です。 また、山科は大石内蔵助が討ち入り前に隠れ住んでいたといわれており、赤穂義士にまつわる史跡の数々が今日まで伝えられています。こうしたことから、毎年12月14日には、討ち入りなどを再現する「山科義士まつり」が多くの区民の参加のもと盛大に開催されています。 行政区の変遷としては、宇治郡山科町が昭和6年に京都市東山区に編入されました。その後、昭和26年の支所開所を経て、昭和51年10月に東山区からの分区・独立により現在の山科区となり、平成18年に区誕生30周年を迎えました。 毘沙門堂
ご本尊に京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名がある。 創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といった。その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。伝教大師が唐より将来された鎮将夜叉法という行法は、天台五箇大法のひとつとして当門跡だけに伝わる秘法である。 ご本尊の毘沙門天は、天台宗の宗祖で比叡山を開かれた伝教大師のご自作で、延暦寺根本中堂のご本尊薬師如来の余材をもって刻まれたと伝えられる。商売繁盛・家内安全にご利益があり、一月初寅参りには福笹が授与され善男善女で賑わう。 宸殿襖絵 宸殿に上がり襖絵の説明を受けました。見る角度によって机の長さや顔のふくらみ等が変化して見えるだまし絵という技法です。秀吉の大政所高台尼公が大阪城内で念じていた弁才天を庶民福楽の為に当地に勧請したという高台弁財天(堂)が宸殿から見え、紅葉の庭園の中でひときわさえています。 境内の諸堂は近世の門跡寺院特有の景観を伝える貴重な遺構であり、その多くが京都市の有形文化財に指定されている。山科盆地を見おろす山腹に位置し、春の桜、秋の紅葉は知る人ぞ知る京の名所です。 庭園(晩翠園)
池の北側、観音堂の脇には滝石組が組まれ、安祥寺山の谷から引き込まれた水が音を立てて流れ落ちています。 中島の一方には石塔が建ち、観音堂とともに、庭園を眺める上でのアクセントとなっています。 護岸の石組も大石を立てることはせず、全体として穏やかな造りとなっています。 毘沙門堂の紅葉 京都の中でも美しい紅葉の名所です。他の京都の紅葉の名所と比較しても綺麗な場所になります。 毘沙門堂の紅葉 初冬の毘沙門堂の勅使門に向かって伸びる参道の石畳は散り紅葉が赤く敷き詰められます。仁王門への急な石段は毘沙門天王と書かれた赤い幟と赤い紅葉に迎えられて登ります。毘沙門堂の秋は境内全体が赤く染まり、山科地区を代表する紅葉の名所です。 弁天堂を包む楓の紅葉も美しく、宸殿裏の晩翠苑庭園のドウダンツツジも真赤に色付きます。仁王門から西に続く斜面の紅葉は豪快の一語につきます。 毘沙門堂の参道の石段が、紅葉で真っ赤に染まる光景は見応えがあります。 その光景は、とても趣があり、これぞ京都の紅葉といった感じです。 また、毎年紅葉のライトアップも実施され、昼間とは違った雰囲気の毘沙門堂の紅葉を楽しむ事が出来ます。 境内の諸堂、高台弁才天、晩翠園などの紅葉が、綺麗で人気です。 |
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