平成27年8月 わがまち紹介 "産業諸施設を設立した近代科学発祥の地" 木屋町(その1/3) |
月 日 | 平成27年8月20日(水) |
集合場所 | 集合場所:島津製作所 島津創業記念資料館前 | 行 先 | 島津製作所 創業記念資料館 京都市中京区木屋町二条南 |
その他 | 館内の説明を、館のスタッフの方にわかり易く、丁寧にして頂きました。 本当に有難う御座いました。 |
天 候 | 雨のち晴れ |
記
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木屋町 慶長年間(1596年 - 1615年)の角倉了以の高瀬川開削に伴って、1611年(慶長16年)に二条樵木町(現在の中京区上樵木町付近)を起点に開通した。開通当時のこの通りは、「樵木町通」と呼ばれていた。 江戸時代初期(17世紀)、大坂(現在の大阪府大阪市)や伏見(現在の京都市伏見区)から薪炭・木材が高瀬舟に積まれて集まり、材木問屋・材木商が倉庫や店舗を立ち並べるようになったため、「木屋町」と呼ばれた。 右の写真は、一之船入に展示されている高瀬舟の見本です。 木屋町周辺には材木町、紙屋町、鍋屋町、米屋町などの地名が残っている。 1762年(宝暦12年)に刊行された『京町鑑』には、「木屋町」を「北二条通より南五条迄」と定義し記載している。 江戸時代中期(18世紀)には、この通りを往来する旅人や商人を目当てに、料理屋や旅籠、酒屋などが店を構えるようになり、酒楼娯楽の場へと姿を変えた。 幕末(19世紀)には勤皇志士が密会に利用したため、坂本龍馬や桂小五郎らの潜居跡や事跡の碑が繁華街のあちこちに立っており、大村益次郎や本間精一郎、佐久間象山などが殉難している。 1895年(明治28年)には、二条 - 五条間に京都電気鉄道(のちに買収され京都市電木屋町線)の路面電車が開通した。1920年代(大正末年 - 昭和初年)に河原町通が拡幅されたことにより、市電のルートは河原町線に移った。 現在は高瀬川の側にサクラが植栽され、歩道を場所により車道側に飛び出させて車の高速走行を押さえるなど、整備がされている。 三条通から四条通までを中心に、喫茶店、バー、スナック、料亭などに加え、各国料理レストランなど所狭しと並んでいる。 風俗営業店の増加に伴い、地元が治安対策の運動を行っている。 2003年(平成15年)、京都市が地区としての「木屋町」を、「木屋町界隈」として「美しいまちづくり重点地区」に指定された。 一之船入 川の西方の堀割を一之船入という。 高瀬川は慶長十六年(1611)頃、角倉了以が開いた運河でここを通行する高瀬舟の荷物をあげおろしする船溜所を船入といった。 角倉氏は保津峡の開発等数々の土木工事に成功しており、京都の中心部に物資を運びいれるためこの川を開いたもので、このあたりを起点として鴨川の水をとり入れ鴨川に平行して十条まで南下し、さらに鴨川を横断して伏見に通じていた。 底が平たく舷側の高い高瀬舟が盛時には百数十艘が上下し、大阪などの物資を運びいれた。 木屋町筋には「木屋町」という町名の由来になった材木屋をはじめ多くの問屋が立ち並んで賑わい、船入はこの一之船入をはじめ数箇所に設けられた。 明治以後高瀬川は舟運の目的を失ったが、両岸に柳を植えた景観は京都に情緒の大きな要素となっている。 一之舟入は江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡としての史跡に指定されている。(京都市 一之船入の説明板) 島津製作所 創業記念資料館 創業の地である高瀬川の北端の木屋町二条は、島津製作所の創業の地であるとともに、明治初め、京都府が欧米の最新技術を導入した実験所や工場など多くの 産業諸施設を設立した近代科学発祥の地でもありました。 現在は、京の落ち着いたたたずまいが感じられる場所であり、その中に建つ木造の2階建ての外観は、 初代、二代目が居住し、店舗としていた当時の面影を今に伝えています。 資料館は創業の地にあり、木造2階建ての建物は、創業者の初代の島津源蔵が居住し、約45年間、本店として使用したもので、いわば島津製作所の源流です。 館内には、創業以来、製造販売してきた理化学器械、医療用X線装置や産業機器をはじめ事業活動に関連する歴史的な文献・資料などを常設展示し、島津製作所の歩みと日本の近代科学技術の発展過程が展示されています。 平成23年4月、創業135年を記念してリニューアルをし、ストーリ・テーマに沿った展示、創業当時の雰囲気とその歴史を感じるような空間へと生まれ変わった。 |