わがまち紹介
目次へ|次へ(その2/2)
平成27年3月 わがまち紹介
"古くは都の皇族や公家の別荘が点在していたまち"
京都市右京区
【その1/2 概要】

月   日 平成27年3月18日(水)
集合場所 阪急松尾大社駅  改札出口
順   路 阪急松尾大社駅 → 梅宮大社 → 阪急松尾大社駅
その他 1)梅宮大社の神苑入園料500円/人
2)曇り空の下での梅園見学が出来ました。
天   候 曇り
 京都府右京区がある地域の歴史は古く、かつてこの地には山背(山城)国府が置かれていたともいわれる。渡来人の秦氏もこの地方を拠点として活躍したと思われ、氏寺として広隆寺を建立した。秦氏は聖徳太子とも関わりがあったらしく、のちの山背大兄王が蘇我氏に攻められた際には、彼に太秦に避難するよう進言する者があった。秦氏と関係の深い桓武天皇が平安京を定めると、京中に寺の建立が禁止されていたために、現在の右京区域にも多くの寺社が立ち並んだ。嵯峨天皇が嵯峨離宮(後の大覚寺)を建てたりするなど多くの貴族はこの地に馴染み、また嵐山に遊んだ。

梅宮大社
 桂川の東岸にある。橘氏の氏神として綴喜郡井手町[つづきぐんいでちょう]に祭られたものを、檀林[だんりん]皇后橘嘉智子が現在の地に移し、皇子の誕生を祈願したところ、のちの仁明天皇を懐妊したという。以来子授け・安産の神として尊ばれ、本殿東のまたげ石をまたいだり、産砂を受ける風習がある。本殿に 酒解[さかとけ]神、酒解子神などを祭り、酒造の神として信仰を集める。神花として梅が約550本植えられており、カキツバタも有名。ツツジ・花菖蒲・ア ジサイなども楽しめる。
東神苑
咲耶池の周りには、かきつばた、花菖蒲、霧島つつじが相ついで咲き、島の中にある茶席「池中亭」は「芦のまろ屋」ともあだ名される、平安時代の梅津の里の風景を歌った百人一首

『 ゆうされば かどたのいなば おとずれて
    あしのまろやに 秋風ぞふく

大納言 源 経信』                

の歌の古里として、今に残る唯一のかや葺きの建物です。
北神苑
 勾玉池の周りに花菖蒲、八重桜、平戸つつじが咲き、日陰にはあじさいが咲きます。
西神苑
梅林で、ラッパ水仙が道路に沿って咲きます。
江戸の中頃に本居宣長(もとおりのりなが)が梅宮に献木の梅に添えて

『 よそ目にも その神垣とみゆるまで
      うえばや梅を千本八千本  』

と詠んだのは有名なことです。
椿は神苑全体に亘って植えてあります。
写真のアルバムもお楽しみ下さい。ここをクリッキして下さい。

このページの先頭へ戻る