月 日 | 平成26年5月22日(木) |
集合場所 | JR大阪城公園駅改札出口 |
順 路 | 池田駅 → 呉服神社・室町住宅地 → 歴史的建造物集積地区 → 伊居太神社 → 五月山公園
→ 池田城跡公園 → 逸翁美術館 →池田文庫 → 池田駅
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その他 |
今回の池田市の散策に当たり、いけだ観光ボランティアガイドの村田氏の全面的な協力を得て計画しました。 当日のガイドは、豊岡さんに本当に丁寧に長時間にわたり説明をして頂きました。 本当に有難う御座いました。 |
天 候 | 晴れ |
記
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池田市 池田は応神天皇の頃、呉服姫(くれはとり)、穴織姫(あやはとり)の伝説に始まり、江戸時代には、池田の銘酒、池田炭で全国的に知られました。明治には、室町に日本初の分譲住宅が建設され、日本四大植木の町の名声は今も健在です。安藤百福氏の開発による即席めんは、昭和33年池田市に発祥し、全世界に伝播し、「食文化」を変革しました。 池田市は、中世この地に城を築城した池田氏が地名の由来とされています。 京から九州に通じる西国街道や大阪と妙見山を結ぶ能勢街道、妙見道、巡礼道などが交鎖し、能勢方面の米、薪炭、青果物が大阪へ、また大阪から地方へは、魚介類、衣類、日用品などが運ばれました。その物資の集散地であったことが、生活文化を育む土壌となりました。 池田の町人文化を担ったのは、この地の商業発展で、経済力をつけた造り酒屋や大問屋でした。室町時代には連歌師の牡丹歌肖柏を中心に和歌が盛んになり、江戸時代には与謝野無村、松村月渓が逗留して絶頂期を迎えました。 明治初期には、地方では珍しい本格的芝居小屋が設けられ、歌舞伎興行もあって大変な賑わいを見せていた。 史的な町並みが比較的よく保存されているが、近年は中高層マンションの立地が進んできています。 呉服神社 呉服神社(くれはじんじゃ)は、大阪府池田市室町にある神社である。 応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された猪名津彦命が、呉王に乞い連れ帰った呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4姉妹のうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の姉、呉服媛が祀られている。 明治時代、現在の阪急電鉄によって周辺地域が開発され、鳥居から神社までの参道は、阪急宝塚線の高架沿い、住宅街を通る道となる。 伊居太神社 伊居太神社(いけだじんじゃ)は、大阪府池田市綾羽にある神社である。呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる、織姫・穴織媛(あやはとりのひめ)と、応神天皇、仁徳天皇を祀っている。正式名称は穴織宮伊居太神社。 池田市に現在する最古の神社とされており、別名穴織(あやは)社で姫室塚があります。「織姫伝説」にまつわる神社でもあります。祭神は「応神天皇」「仁徳 天皇」「穴織大明神」です。本殿は信長によって焼かれ、秀頼によって1604年に再建されました。 格調高い、寄棟造りの本殿です。 室町住宅地 池田室町として1910年(明治43年)に大阪の箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)が開発した戸建タイプの分譲住宅地で、これは日本初の鉄道会社による宅地開発がなされたもの。古くからある呉服神社を中心にして、神社と軸線をずらした区画レイアウトを行っている。 郊外居住という観念の喧伝のため、「模範的郊外生活」という生活スタイルを提唱した。そのために、鉄道会社が購買部と呼ばれるマーケットや店舗商店、公園のほかに果樹園、さらには玉突台のある社交倶楽部まで中心街に設置している。 住宅地の中心には室町会館があります。住宅地開発の翌年、明治44年(1911年)に建てられた和風の室町倶楽部が前身で、昭和11年(1936年)に外観を洋風に大改造し、現在に至っています。ぴょこんと飛び出た屋根や焼き板張りの壁は和風の名残でしょうし、直線的なモダンデザインに玄関脇のアールが昭和10年代らしく、一風変わった建築になっています。 室町会館には社団法人室町会が入っていて、池田室町住民憲章の碑の説明板が掲げられています。 五月山公園 市の中央部にある五月山は、標高315.3メートルで、園内は桜とツツジ、紅葉の名所として、シーズンには多くの人でにぎわっています。また、ハイキングコース・動物園・都市緑化植物園などの施設も利用者に親しまれています。 特に、五月山動物園では、無料でオーストラリアの珍獣ウォンバットやワラビ−、アルパカなどを見ることができ、多くの人が訪れます。 「緑楓台」でバーベキューが可能とのこと、バーベキューエリアはとても狭いですが屋外でバーベキューが出来るところがほとんどないので貴重ですね。 池田文庫 池田文庫は、阪急・東宝グループの創業者小林一三が、 在住の池田に戦後理想的な地方文化事業を創生する夢を描いて、昭和24年(1949)に開館しました。 当時、北摂周辺には図書館は一館しかなく、地域住民が切望していた身近な文化施設になりました。 そもそも文庫の歴史は、娯楽場であった宝塚新温泉内の図書室に遡ります。一三は、宝塚新温泉の余興として、大正3年(1914)に宝塚少女歌劇(今の宝塚歌劇)の公演を開始し、図書室はその翌年に新設されました。 新刊雑誌や近刊の書籍を開架方式で揃えて、読書が楽しめ、読書に厭きれば歌劇を見、一日を過ごせる工夫をしました。 昭和7年(1932)、図書室は、演劇資料収集を目指し、宝塚文芸図書館に発展します。演劇に関する図書、雑誌、宝塚歌劇の上演資料、歌舞伎資料を多数集めました。 池田文庫は、宝塚文芸図書館の蔵書・資料類を引き継ぎ、その後、宝塚歌劇に関する網羅的収集、阪急電鉄資料を加えて、現在、図書雑誌約22万冊の蔵書を数えます。 平成15年(2003)には、民俗芸能資料を加え、特色ある専門図書館となりました。 所蔵品の中には、近代化産業遺産認定資料、上方役者絵、歌劇のポスター等、貴重な所蔵品も多数あります。 「旧宝塚ファミリーランド」歴史石燈籠 各地に現存する、天平時代からの著名な石燈籠を選んで、その実物(本歌)を精密に模写した二十三基を、旧宝塚ファミリーランドから移設しました。 池田城跡公園 室町時代から戦国時代にかけて、池田市域一帯などを支配していた地方豪族池田氏の居城跡地を公園として整備を進め、平成12年(2000年)4月にオープンしました。 園内にある、やぐら風展望休憩舎からの眺めは、池田市街地はもちろんのこと、阪神高速道路の新猪名川大橋(通称ビッグハープ)や園内が一望できます。 園内には白い城壁で囲まれた日本庭園が広がり、展望舎、茶室、管理棟がある。 展望舎からは、園内、五月山、池田市街、兵庫県川西市、宝塚市、さらには大阪市や神戸市方面の風景を楽しむ事ができる。 南門を降りた所には、小さいながらも花菖蒲園が広っている。 |