わがまち紹介
目次
平成26年1月 わがまち紹介
"梅薫る種類の豊富さでは関西随一の梅林":大阪城公園

月   日 平成26年2月27日(木)
集合場所 JR大阪城公園駅改札出口
順 路 JR大阪城公園駅  → 大阪城公園 梅園 → NHK大阪放送局 → 難波宮跡(古墳時代大型倉庫群跡)
その他 1)原則第3木曜日ですが、梅の開花時期に合わせて遅らせました。
2)大阪城公園の梅林は、大阪観光ボランティアガイドの橋本さん、水戸さんに小雨の中、親切・丁寧に案内して頂きました。
本当に有難う御座いました。
3)NHKのRKプラザは、13:30予約し見学しました。
天   候 小雨
 大坂城は、1583年(天正11)、石山本願寺の跡に豊臣秀吉が天下統一の拠点として築城を始めた。大坂夏の陣で落城し、徳川政権下で再築されたが落雷で天守閣を焼失、1931年(昭和6)築の現在の天守閣は3代目。館内は歴史博物館で、貴重な資料やジオラマなど、さまざまな角度から大阪城を楽しめる。
大阪の中央に位置する大阪城公園は、総面積105.6haの広大な公園です。
大阪城公園 梅林
大阪城二の丸東部分にある約1.7ヘクタールの梅林は、大阪府立北野高校の卒業生(六稜同窓会)が開校100周年事業として、 22品種、880本を大阪市に寄付した事で、昭和49年3月に開園した。その後、梅の種類を増やし、2年後に梅林として開園。寒紅・冬至梅・八重野梅・小梅・豊後など、種類の豊富さでは関西随一です。
この梅林には、大阪での梅の開花の基準となる標準木もあります。
 現在、大阪市内最大規模の梅林で、その数約98種1,250本。これらの梅林はわざわざ見上げなくともいいよう、低く低く、横へ横へと剪定しているのが特徴です。
大阪城梅林は、早咲きのものから遅咲きのものまで数多くの種類の品種が揃っているので、12月下旬から3月下旬までの長期間にわたって梅を楽しむことができます。
梅といえば田舎、山、自然と、イメージするものだが、近代的な高層ビルを背景にした風景とマッチしています。 梅林は梅の良い香りに包まれ楽しんだ後、大阪城公園の梅林の中の売店で「うどん」や「おにぎり」で昼食を楽しみました。
NHK大阪放送局
 遺跡を保存した放送局、いにしえの大阪に都がおかれた上町台地に広がる難波宮跡。このあたりは、七世紀から八世紀の前期・後期難波宮などが眠る歴史ゾーンです。地下に眠る難波宮の遺構をビル全体で抱きかかえるように守り、大切に保存しています。
 近畿地方2府4県におけるNHKの拠点局。歴史的経緯やその規模から第二のNHK放送センターと考えてもよいでしょう。
大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山の近畿地方共通の番組(管中番組)や、大阪局ローカルの番組、そして看板番組「朝の連続テレビ小説」をほぼ半年毎に制作するなど全国向け番組も多く制作している。
 2001年(平成13年)11月、旧局舎(中央区馬場町)の向かいの場所(同区大手前)に新局舎となる「大阪放送会館」(スタジオ、NHK大阪ホール、大阪歴史博物館)がオープン。コールサインのJOBK(教育部門はJOBB)から「BK」「BB」と呼ばれることもある。
 総合テレビの番組編成は、他地域の各放送局に比べ関西ローカル(いわゆる自主編成)への差し替えが全時間帯において極端に多いことが特徴である。
大阪放送局は、直下型地震による被災や放送設備のトラブルなど、何らかの事情で東京・渋谷のNHK放送センターが機能不全に陥った場合、衛星放送(BS)を介して全国に向けて放送を代替送出できるようになっており、屋上には衛星への送出設備が設置されている。この時、全国各地の地上テレビ放送は衛星放送で受信した内容の同時放送となる。
また、災害やテロ、有事などの不測の事態を想定して、大阪放送局では、万一の場合にNHK放送センターの役割を代行できるよう、日頃の訓練に努めるなど、公共放送を担うNHKとしてのバックアップ体制が取られている。
 丁度、連続テレビ小説「ごちそうさん」の録画も終了し、スタジオの解体作業中でした。
それにしても、ヒロインの「め以子」や夫役の「悠太郎」の背の高いのに驚きです。
難波宮跡(古墳時代大型倉庫群跡)を訪問
 難波宮は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)にあった古代宮殿。難波宮のことは史書(『日本書紀』)には載っていたが、第二次世界大戦が終わるまでは所在地は不明なままであった。
1913年(大正2年)大阪城外堀の南付近で数個の重圏文・蓮華文の瓦が発見されていたが、ほとんどの人は省みなかった。
しかし、1953年(昭和28年)同所付近から鴟尾(しび)が発見された。このことがきっかけになり山根徳太郎を指導者とする難波宮址顕彰会の努力により発掘・調査が進み、奈良時代の宮の遺構が次第に明らかになった。1957年(昭和32年)南北に続く回廊跡(後期)が見つかった。そればかりでなく、翌1958年(昭和33年)には奈良時代より古いとみられる柱列跡が検出され、その柱穴に焦土が詰まっており、火災の跡であることが明らかになった。つまり、686年(朱鳥元年)正月「難波の宮室が全焼した」記録から、孝徳朝の宮室が焼失したものと推定でき、その後に天武朝の宮室が建造されたのだと考えられるようになった。1960年(昭和35年)これが回廊であることを確認。これを前期難波宮という。1961年(昭和36年)山根徳太郎らの発掘により、聖武天皇時代の大極殿跡が発見され、その存在が確認された。これを後期難波宮という。山根徳太郎は発見当時、「われ、幻の大極殿を見たり。」という発言を残した。
いつも大阪歴史博物館・NHK大阪放送局を訪問すると思うのは、旧きものを残し、いかにして新しいものを作っていくかを教え、実行するかです。

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