わがまち紹介
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平成26年1月 わがまち紹介
“日本の成長と共に変わりゆくまち”:南平台
【その1/2 概要】

月   日 平成26年1月23日(木)
集合場所 にく家 牛地蔵
順 路 ○JR高槻駅北バス乗り場Eから奈佐原、萩谷行きに乗り、「南平台西」下車
○JR富田駅北バス乗り場@から奈佐原、萩谷行きに乗り、「南平台西」下車
その他 新年の親睦会を予定しています。
新年の親睦会にふさわしい会にしましょう。
天   候 快晴
 南平台の名称は東京都渋谷区の南平台と大阪府高槻市の南平台がるとのことです。
 東京の南平台は、もとは豊多摩郡渋谷町大字中渋谷字南平台であったが、昭和7年に渋谷区の町名となる。
閑静な高級住宅地であるが、高台のため坂が多い。昭和45年1月1日住居表示実施に伴い南平台町となる。以前は高級住宅地であったがその後、マンションも建設され高級住宅地のイメージはなくなっている。
 大阪高槻市の南平台は昭和42年6月1日住居表示実施に伴い、丸紅不動産が開発した区域の旧字名(岡本、奈佐原、郡家、服部)を南平台としましたが、その謂れは東京の渋谷区の南平台の高級住宅街をイメ-ジし、併せて現地の地形が南に平らだったことから南平台と名づけたそうです。
ここはなだらかな丘陵地帯です。予てからゴルフ場の経営をしたいと考えていた大阪のある遊技場経営者が昭和34年頃、当地をヘリコプターで検分し、この土地がゴルフ場に最適な土地であったので、直ちに不動産業者に当地を買収したようです。
なだらかでやや南下がりの日当たりのよい丘陵地でゴルフ場には最適な土地でした。
土地の所有者が随分と多く土地の取得には大変苦労があったようです。又、途中で日本道路公団の名神高速道路の用地買収が始まり土地の価格が急騰し、ゴルフ場の用地買収に支障が出来、ところどころ虫食いのように未買収地が出来たそうです。結果ゴルフ場としての土地利用が不可能になり当地の買収に関わっていた不動産業者が大手商社(丸紅飯田)にこの土地を持ち込み、丸紅飯田は住宅産業に力を入れようとしていたところでありましたので、この土地を宅地開発することに決めたようです。
 昭和38年までには、約18万坪(実測)を丸紅飯田が取得、昭和39年9月に子会社(昭和35年8月設立)の丸紅不動産に移転し、当地を住宅地とゴルフ場に分けて開発することになりました。
(住宅面積約7万坪  ゴルフ場約11万坪)
昭和55年高槻市は人口抑制政策を解除し、凍結してきた大型開発の申請を受け付けることになる。
京都の平安女学院が短期大学の移転計画を立案。高槻市は同大学の移転を受け入れ、南平台ゴルフ場の北西に約1万坪を同大学に譲渡するように高槻市は丸紅不動産に要請し、合意が成立した。
 昭和57年南平台ゴルフ場閉鎖。同年高槻市は南平台の開発予定地に小学校を開校することを市議会に諮り議決する。
第4次宅地造成計画の地元説明会が開催された。
7月29日 第4次宅地造成計画の許可が下りる
昭和59年 第4次宅地分譲開始。当初の分譲価格は、坪当たり約50万円だったようです。
南平台第4次分譲の抽選会には多くの方がつめかけたとのことです。
 しかし、現在はどこも同じように高齢化の問題が進んでいるようです。高齢者は「足腰が悪くバス停に行くのが大変」のようです。

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