わがまち紹介
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平成25年6月 わがまち紹介
" 安威川ダムの今、そしてこれから:安威川ダム建設現場
【その1/2 概要】

月   日 平成25年6月20日(木曜日)
集合場所 安威川ダム建設事務所 集合13:20
順路 安威川ダム建設事務所、→ 建設現場(ダム建設予定地)
その他 1)安威川ダム建設事務所及び建設予定地の説明は、建設課 企画グループ 高井さんに、非常に丁寧に、説明して頂きました。
2)又建設予定地見学見学は、雨になりましたが見学させて頂きました。
有難う御座いました。
天   候 曇り・雨
 安威川は大阪府の北摂地域に位置し、その源を京都府亀岡市の竜ケ尾山に発し、高槻市、茨木市、吹田市、大阪市を流下し、神崎川に合流し大阪湾に注ぐ河川である。
流域は古くから洪水に悩まされる地域であり、堤防築堤等の対策が採られていた。だが1967年(昭和42年)7月、流域を集中豪雨が襲い安威川は茨木市野々宮付近で決壊し61人が死傷。浸水家屋は25,000戸に及び全体で1,000億円以上の被害額を出す大水害に見舞われた。この北摂豪雨を契機として流域の茨木市・高槻市・摂津市・吹田市・大阪市の5市長がダムによる抜本的な河川整備を要求した。
 また、高槻市から吹田市に至る流域は東海道新幹線や名神高速道路といった「日本の大動脈」が通過、大阪市や京都市の近郊に位置するためにベッドタウンとして千里ニュータウンを始め多くの住宅造営が進み、人口密集地域となった。こうした事から上水道需要の逼迫が叫ばれ、淀川に依存しない水源確保も行う必要性が生じた。こうして当時の黒田了一大阪府知事による革新府政の下で治水ダムとして始まった安威川ダム事業は、多目的ダムとして事業を拡大することになり1976年(昭和51年)に計画発表された。だが、水没地域の生保地区は住宅地であり、水没予定住民はダム建設に強硬に反対し補償交渉は難航した。1993年(平成5年)1月には水源地域対策特別措置法(水特法)の指定を受け、生保等3地区に代替住宅地を造成することで補償交渉も決着した。2013年(平成25年)の完成を目指し現在は周辺整備工事を進めているが、計画発表から現在まで30年経過しており日本の長期化ダム事業の1つである。
 型式は中央土質遮水壁型ロックフィルダムで計画当時の高さは82.5m、総貯水容量22,900,000トンである。安威川・神崎川の洪水調節と不特定利水、茨木市等への上水道供給を目的とした大阪府が事業主体の補助多目的ダムである。
今年(2013年)から転流工工事を始め、ダム本体建設工事期間として7年を予定し、さらに諸試験を行い10年くらいが必要な様です。
ダムの建設現場に立って、両側の山の高さまで土が盛られると説明を受けると、ダムの大きさが実感出来ました。

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