わがまち紹介
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平成25年2月 わがまち紹介
高山右近研究室を訪問!!:郡家新町
(VG槻輪便り第100号発行記念:特別企画)

【その1/2 概要】

月   日 平成25年2月20日(水)
集合場所 JR富田北バス乗り場(Cバス乗り場) 9:40集合 9:48バス出発
(JR高槻駅北 Eバス乗り場 9:30集合 9:34バス出発 JR富田経由日赤行き)
順 路 JR富田北バス乗り場 → 巡礼橋(下車) → 徒歩 → 高山右近研究室  → 解散 → 昼食(今城塚公民館近傍:ウッデイ食堂)
その他 (1) 久保田典彦先生より長い時間丁寧に説明をして頂きました。
本当に有難う御座いました。
(2) 高山右近研究室は、「高山右近研究室・久保田へようこそ」で検索出来ます。
「高山右近研究室・久保田へようこそ」のHPはこちらからどうぞ!!
天   候 快晴
久保田先生 高山右近は、戦国時代末期の高槻城主であり、キリシタン大名です。
今から450年前、1552年、摂津の国、現在の大阪 府豊能郡高山で生まれ、1615年、フィリピンのマニラで、63歳で天に召されていきました。時代でいいますと、室町時代から、安土桃山時代、そして、江 戸時代のはじめの頃まで。
いわゆる戦国時代を生きぬいてきた人です。
 織田信長に信任され、豊臣秀吉には信頼されつつも、「伴天連( バテレン )追放令」を発したときに、予をとるか、神をとるかと迫られて、迷うことなく、「たとい人、全世界を手にしても、おのがアニマ(魂)を失わば、何の益かあ らん」この聖書の言葉通りに、神・信仰を選び取り、また、徳川家康には「右近の部下の千人は、ほかの者の一万人よりもすぐれている」そのように言われて、 その実力を評価されていたのが「高山右近」でした。
忠実なクリスチャンでした。
 山崎合戦でも先陣をつとめた、実力のある武将で、高槻4万石の城主として12年間、明石6万石の城主として、2年間をすごしました。 城造りの名人でした。
茶道 ・茶の湯の第一人者でもありました。千利休の七人の直弟子「利休七哲」の一人であり、「利休極上一の弟子也」と言われたほどです。
 戦国武将。キリシタン大名。築城、そして、茶の湯の名手。
山右近研究室
「山右近研究室」の久保田典彦先生は、高山右近ゆかりの高槻で生まれ、20歳の時に洗礼を受け、現在も高槻の地でお住まいです。「山右近研究」をライフワークにしておられます。
高山右近は、21歳から33歳までの12年間、高槻城主でした。
この間、キリシタン大名として、キリスト信仰に基づいた生き方や町づくりをすすめてきました。
 このような山右近や当時のキリシタン達の信仰や生き方から学んでいきたいと思って、研究を続けられ、自宅を研究室にしておられます。
久保田典彦先生は、「山右近」の研究者として有名で、NHKテレビ「ぐるっと関西プラス」では、2008年12月20日に午前10:00〜12:00 進行:桂米團治、水野麗奈、アナウンサー:秋鹿真人で放映されました。
 今回、VG槻輪の為に「山右近研究室」を解放して説明して頂きました。
※:HP「高山右近研究室・久保田へようこそ」より纏めたものです。


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