わがまち紹介
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平成23年11月 わがまち紹介
" 吉志部の古い集落と紫金山を訪ねる "
岸部

【その1/5 概要】

月   日 平成23年11月16日(水)
集合場所 JR岸辺駅 改札出口
順 路 JR岸辺駅 → 旧岸部東村のまちなみと大光寺 → 旧中西家住宅 →  七尾瓦窯跡 → 吉志部神社 → 紫金山公園 → 吹田市立博物館 → JR岸辺駅
その他
1) 旧中西家住宅では、吹田市吉志部文人墨客迎賓館 館長 梅田様のお世話になり、 解説ボランティアの樫寿、河谷、荒川、小堀、森川、澤田、橋本さんたちに説明をして頂きました。
2) 吹田市立博物館では、学芸員 五月女さんに館内を説明していただきました。
本当に有り難う御座いました。
天   候 晴れ
 奈良時代と平安時代に宮殿の瓦を焼く、一大生産地だった吉志部の古い集落・旧中西家住宅(吹田吉志部文人墨客迎賓館)と紫金山と吹田市立博物館を訪問しました。
 旧岸部村をご存じですか?。旧岸部東村集落(岸部中)今でも村の中の道沿いに昔の家並みが続き落ち着いた集落で吹田市都市景観賞を受賞しています。
現在の景観は江戸期の図面に描かれた屋敷割や東西・南北に通る道の状況等と大きく変わっておらず、旧岸部東村の雰囲気がよく残されています。
JR岸辺駅はご存じでしょうが、岸辺と言う地名は有りません。町名は岸部です。

旧岸部東村のまちなみ
古いしつらえの家が多く、瓦屋根の家並みや板塀が連なって残っており、歴史的な景観が保たれています。
わずかに曲がりながら続く道筋が通りの眺めに変化をもたらし、旧集落の面影をさらに楽しませてくれる。
長い時を 経ってつくりあげられたまちなみを、地域の財産、吹田市の歴史的資産として保全・継承されている。

大光寺太子館
太子館  昭和13(1938)年に建立された聖徳太子を顕彰するお堂です。
屋根は宝形造。
2階は柱をみせた真壁に、手すり欄干や花頭窓を入れる和風。
1階は柱をみせない大壁、内部の柱上には方杖を入れ、欄間を回転窓とし、洋風とした地元の大工による和洋折衷の建物。
平成14年(2002)に国の登録有形文化財に登録 された。

旧中西家住宅(吹田吉志部文人墨客迎賓館)
  江戸時代の学者で漢詩人でもあった廣瀬旭莊が「其宅華麗 殆類候居(華麗で、諸候が住まう家のようだ)」と讃えた旧中西家住宅は、平成15(2003)年に主屋・長屋門・勘定部屋・土蔵など計7棟が国の登録有形文化財に登録され、さらに平成18(2006)年に市の有形文化財に指定された。
文化財を吹田市のために役立てたいという中西家の御厚志により、平成19年(2007)年1月22日に家具や調度品、絵画や古文書などの文化財とともに、吹田市に寄贈されたものです。
 旧中西家住宅(吹田吉志部文人墨客迎賓館)は、文化人をあたたかく迎えてきた中西家代々のこころと培われた豊かな歴史や文化を伝承するとともに、大切なお客さまをお迎えするこころをもって、皆様に歴史と伝統を堪能していただくことを目的に開館されました。
 重厚な屋敷構えや建築物、華麗な庭園や家具調度は歴史と伝統の深さを窺わせ、美しく整えられた空間からは快適に住み続けることが文化を伝承していくことに繋がるということを示しています。
 最近まで改装してお住まいになられていましたが、今の内装材を取り外すと建築当時の姿に復することができるように設計されています。文化財を保存しながら、快適で住み続けたくなるよう美しく整えられています。
特に11月は庭の紅葉の時期で感動を与えてくれました。

七尾瓦窯跡
  七尾瓦窯跡は神亀3年(726年)に聖武天皇が着手した難波宮(後期)の造営に伴い、宮殿に使用する瓦を生産した窯です。
高さ約2mの東西に伸びる丘陵の北斜面に窖窯6基、丘陵端の東斜面に平窯1基があります。
窯跡は窖窯と平窯の異なる種類の窯があり、さらに同じ窖窯でも構造等に違いがあり、大量の瓦を必要とする宮殿造営に伴う瓦生産の状況がわかりました。
現在、国史跡として整備されています。

紫金山公園(しきんざんこうえん)
 この公園には、国の史跡「吉志部瓦窯跡(きしべがようせき)」や国の重要文化財「吉志部神社本殿」ほか、歴史的な資産が存在しています。
 また、かつて満開のツツジが山を赤紫色に染めた様子が名前の由来とされる「紫金山」を後世に残そうと、市民による里山保全活動が行われている場所でもあります。
 古くから岸部の田畑を潤していた釈迦が池も含め、歴史、自然をテーマとした整備計画「吹田風土記の丘・紫金山公園基本計画」が市民参画により策定された総合公園です。

吉志部神社(きしべじんじゃ)

 吉志部神社の創建年代は明らかではありませんが、6世紀末から7世紀初頭にかけて朝鮮半島より渡ってきた難波吉士氏(なにわのきしし)が、本拠地として勢力を伸ばしたこの地に祖霊神を祀って一族の守護神社としたことに始まるといわれています。
一方、社伝では祟神天皇の治世であった紀元前41年に大和国の磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)から神を分霊して祀った祠が始まりだとされています。
諸説ありますが、少なくとも平安時代にはここ紫金山の地に天照大御神などを祀る祠があったのは確かなようです。
1610年(慶長15年)に建立された本殿は、全体が拝殿に覆われており、通常は見ることができない状態にされていた。
1993年(平成5年)に重要文化財に指定されたが、2008年(平成20年)5月23日午前4時15分頃に出火し、全焼。
この焼失の結果、2008年9月8日、重要文化財の指定が解除された。
2008年5月25日、神社責任役人と、氏子総代により、火災現場調査後に、焼失した本殿のあとに仮殿を早急に建設する。
その後、文化庁の指示を得ながら焼失前と同様の七間社の社殿が再建された。

吹田市立博物館
 考古、歴史、民俗、美術工芸等に関する資料を収集し、保管し、及び展示して市民の利用に供し、その教育、学術及び文化の発展に寄与することを目的として、吹田市地域教育部生涯学習推進室が運営する博物館である。
学芸係の他に文化財保護係がある。
1992年(平成4年)11月15日に開館した。大阪府吹田市の紫金山(しきんざん)公園内にある。
吹田市教育委員会は、1969年(昭和44年)から埋蔵文化財の発掘調査を開始し、以後、民俗資料の収集も進めるとともに、市史編纂事業の終了を受けて、その関係資料も引き継いだ。
このように収蔵資料が増大したため、資料を良好な状態て保管し、調査研究して、広く市民に公開するための専用施設の建設 が必要となった。
施設計画の策定にあたっては、学識経験者などによる建設準備委員会が発足し、具体的な建築構想の検討を進め、博物館建設基本構想が策定された。
常設展の第1展示室では、原始・古代から現代までの吹田の歴史を、実物資料や模型、ビデオガイドなどによって紹介している。
第2展示室では、古代窯業遺跡を実物大で再現している。
また、特別展示室では、10月22日から11月27日まで吉志部神社関連の「どんじ祭り」を展示していました。

特別展示:
 平成23年度 吹田市無形民俗文化財指定記念展示 「どんじ祭り−古式を伝える祭祀−」  どんじ祭りは平成23年(2011年)4月に吹田市の無形民俗文化財に指定されました。
祭りは特別なお供えを調製し、釈迦ヶ池に住む大蛇への人身御供の名残と伝えられる少女がその供物を奉納する大切な役割をもって登場します。
本展示では神社祭礼の古い形態が残されている祭りを近隣の類例もまじえながら紹介していました。

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