わがまち紹介
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平成23年9月 わがまち紹介
" 木々の間に樟葉の杜の風 "
樟葉

【その4/4 砲台場跡・久修園院】

 樟葉砲台
元治元年(1864)、徳川幕府は大坂湾から京都に侵入する外国船に備えて、淀川左岸のここ楠葉と右岸の高浜(島本町)に砲台(台場)を築き、翌年には楠葉関門を設けました。
高浜砲台にはカノン砲4門が設置されていたので、楠葉砲台にも同様に設置されていたと考えられています。

樟葉砲台

久修園院

久修園院の創建時は広大な境内を有し、七堂伽藍が建ち並んだ大寺でしたが、大坂夏の陣の元和元年(1615)豊臣方の敗走兵がここに逃げ込み、放火自殺したことにより堂塔ことごとく焼失し、のち、延宝八年(1680)名僧の誉れ高い宗覚律師(そうかくりっし)が堂宇を再建しました。
釈迦堂にお祀りしている本尊・釈迦如来立像は、左手に大きめの金鉢、右手に錫杖を持つ托鉢修行中のお姿です。

 愛染堂内の中央に愛染明王、右に不動明王、左に虚空蔵菩薩が祀られています。
愛染明王坐像は、高さ6尺(約2メートル)と日本最大級のサイズを誇る愛染明王さまで、当院を復興した宗覚律師の御作です。 律師が人生の後半に至ってもなお律師を思う母の心の深さに思いを致し、母の死後8年目に彫り上げられたと伝えられています。
母の愛を慕い、その愛の偉大さを讃える“慈母愛染”像でもある。

久修園院本堂

 天球儀
元禄十五年(1702)頃、宗覚律師の作で、天文博士・安井算哲の天体星座の図により模作彫刻したという、銅製の極めて精巧なる天体観測器です。
球面に天球の星辰(星座)を銘記しており、その支柱(子午環)には「以天文博士保井算哲之図模作焉 老比丘宗覚正直自運錐鑽雕焉」と銘文が刻まれ、箱には「天球之図」という墨書があります。

天球儀

愛染堂


旧京街道

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