月 日 | 平成23年2月20日(日) | 集合場所 | JR高槻駅D乗り場系統12番:8:35道鵜町行き乗車 「道鵜町」で下車。 徒歩約10分 淀川堤防へ |
順路 | JR高槻駅D乗り場 → 道鵜町 → 河川敷 → 阪急上牧駅へ |
天 候 | 快晴 |
そ の 他 |
1)年一度の行事です。 2)快晴で無風状態 雨天・強風等の場合は、延期となる行事です。 3)点火時刻は9時。 |
記
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鵜殿のヨシ原 宇治川・桂川・木津川が合流し、淀川となる合流地点から5kmほど下った淀川右岸にある、広さ約75ヘクタール、長さ2.5kmと、淀川流域でも最大の葦の群生地であり、野鳥や動植物の貴重な生息地ともなっている。 昔から多くの歌人に詠まれていて、紀貫之の『土佐日記』にも記述があり、谷崎潤一郎の『蘆刈』の舞台が鵜殿のヨシ原とも言われている。 この鵜殿に生えるヨシは、高さが3mほどの大形のヨシで太く弾力性があり、古来より雅楽の篳篥の蘆舌として使用されており、昭和20年ごろまでは、毎年100本ずつ宮内庁に献上されていた。 今でも宮内庁楽部で使われている蘆舌は、すべて鵜殿産のヨシで作られている。 昔は鵜殿のヨシで編んだヨシズが盛んに生産され、宇治の茶園や高槻市の原・塚脇地区の寒天製造に使われていました。 鵜殿のヨシ原焼き 鵜殿では毎年2月中旬に、ヨシ原の保全と害草・害虫の駆除、不慮の火災防止等を目的に野焼きが行なわれている。 これは昭和20年代より続けられている。 それ以前はヨシの他に屋根葺きや燃料の需要のあるオギまでも、殆ど刈り取られていた。 このヨシ原焼きは、1970年(昭和45年)から5年間中断した。 その結果、ヨシ原は雑草などに占拠され、ヨシの品質が低下し、絶滅の危機に陥った。 このことから1975年(昭和50年)に「鵜殿のヨシ原焼き」が復活した。 野焼きの面積は、上牧から道鵜町までの約30ヘクタール。 毎年行われている野焼きだが、2001年には対岸の枚方市側住民からの降灰に関する苦情により中止されている。 以後、野焼き面積を減らしたり、ヨシを刈り倒した後に点火するなど、火力を弱めるなど工夫されています。 鵜殿のヨシ原焼きは、自然環境保全の点で継続される事を強く望みます。 毎年、2月に行われるヨシ焼きは、淀川に春を告げる慣例の行事として行われ、河川敷一帯が炎に包まれる光景は雄大です。 2011年2月20日に行われたヨシ焼きには、道鵜町から上牧まで、淀川の堤防には見学者で埋まっていました。 |