江戸時代には、寛政10年(1799年)に発行された『摂津名所図会』で、萬福寺の末寺として栄えた慶瑞寺が観光名所として紹介されている。 後水尾法皇は、自筆の勅書を与えるなど龍溪への信頼が特に厚かった。また法皇は龍溪の指導により禅悟の域に達し、大宗正統禅師の号を賜った。その龍渓の晩年の居所でもあるこの地には、後水尾法皇の歯や仏舎利を納めた聖歯塔が建っている。 |
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天光塔(龍渓像を安置) |
龍渓直筆碑 |
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→ 沙羅双樹は、インド原産の常緑樹で熱帯樹の為、日本では育たないようです。 普門寺の沙羅双樹は樹齢200年とも言われています。 沙羅双樹の白い花、朝咲いて夕べには散ります。その散りかたは、花びらを散らさず、花が地面にポトンと落ちると言う、いさぎよい散り方をします。そこで平家物語では世の無常を象徴する花として登場した。 |
龍渓直筆碑 寛文10年8月23日龍渓が弟子拙道の九島院に居るとき、水難に遭い水調歌を唱し、その直筆を碑に刻んだもの。 碑の文章は、 三十年前恨未消 幾囘受屈爛藤條 今晨怒氣向人(噴) 喝一喝 卻倒胥江八月潮 |
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慶瑞寺の沙羅双樹(2世) |
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聖歯塔/慶瑞寺の墓地 |
鐘堂/額 承詔必謹 |
慶瑞寺の説明板 |