わがまち紹介
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平成22年10月 わがまち紹介
" 古代から水運で栄えたまち ":柱本・三島江
【その5/6 写真集 柱本】

柱本・三島江地域は、古代から水運の要の地点として発展してきた。
高碕達之助(1885〜1964年)氏は、柱本の百姓兼紺屋に7人兄弟の3番目として生まれた。
日本の政治家・実業家。電源開発初代総裁、通産大臣、初代経済企画庁長官などを歴任した。1917年には、製缶会社「東洋製罐」を立ち上げています。
柱本公民館は、高碕達之助氏の旧宅を公民館として使用されています。

柱本公民館/高橋達之助氏肖像画

興楽寺縁起碑/境内

法光寺<ほうこうじ>
文明7年(1474年)信證院蓮如上人が河内国茨田郡出口に教化のみぎり、当地在田中西右衛門なる信者の懇願により直弟子空善坊を開基とし、この地に移住せしめられることとなり空善坊は文明8年2月近江国志賀郡大津三井寺より自坊萬徳院を移されたがその発祥であり空善坊捨身の霊場でもある。
現在は枯死してないが、境内には、「八房の梅樹」・「見返りの松」が良く知られていた。

興楽寺<こうらくじ>
「当山は聖武天皇の御宇天平5年(733年)行基僧正が開基された畿内49寺院の一にして昔時は堂字壮厳を極め朝野の崇敬をあつめた。霊験あらたかなご本尊十一面観世音菩薩は正に千古の秘佛である。
又山内には世界平和と世の母の苦を救う為に昭和29年ときの通産大臣高崎達之助氏が発願建立した悲母観音石佛を安置する。
境内には高槻市指定の楠が樹齢約250年です。

法光寺由来碑/本堂外観

法光寺 八房の梅樹碑/幹の加工品

本堂内にて住職の説明風景

法光寺 本堂内部

法光院は、顕如上人直筆の当寺縁起によって深き勝縁にあわれることを希求し由来とする。
「萬徳院」の「智証大師」の手により、自坊に掲げられていた、門扉上の額。欅材で大師の直筆。
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