わがまち紹介
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平成22年10月 わがまち紹介
" 古代から水運で栄えたまち ":柱本・三島江
【その4/6 くらわんか舟】

くわらんか舟 本名は「茶舟」という。
 京都〜大阪を結ぶ大切な交通機関は、淀川を往復する舟であって、この舟のことを「三十石舟」と呼んでいたようである。
 この舟の船頭や乗客に対して、この地の百姓達で営業権をもつ者が、交代で、小舟をあやつって自家製のオデン・巻寿司・酒・茶・お汁物を「それくえ、やれくえ」と売り込んでいたようで、この小舟を「茶舟=くわらんか舟」と名付けていたようである。
京都・伏見過書座支配の茶船は、20とあって宝歴3年(1754年)には、働株10・休株10と記されている。
烏丸光広「寛永紀行」・十辺舎一九「東海道中膝栗毛」等にも、この「くらわんか舟」は記載されている。
 柱本の「くらわんか舟」の帳元には、濱藤太郎氏のご先祖で、煮売船仲間の権利を保有されていて7軒の長で2叟の舟を交代であやつり、二里四方が許可範囲とされていたようである。
多くの食器類や有名人の記帳された書が残されている。

安心の渡し
 明治34年(1901年)大阪布令第74号に「渡し舟営業規則」が発令された頃より、この「安心の渡し」がはじまったとされ、大阪府知事の許可を得て、淀川の占有料も払う渡し船であった。
この柱本里の内と川向こうの北河内郡友呂岐村大字木屋地蔵島を結ぶ水上交通機関は、この地の上田称三郎氏と地蔵島の樋口丑松が、その初代船長と記されている。


写真は、「三十石舟」(上)と「くらわんか舟」(下)
(高槻市歴史資料館の展示品より)


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