わがまち紹介
目次へ|次へ(その2/2)

平成22年3月 わがまち紹介
" 高槻市市役所・市議会議場:桃園町 "
【その1/2: 概 要】

月    日 平成22年3月18日(木)
集 合 場 所 高槻市総合センター1階エントランスホール
天    候 くもり
そ の 他 @本館2階会議室で市議会等について説明して貰います。
A議場等の見学
B会議室で本見学の意見交換・今年度の活動報告・その他
Cその他
  ご協力頂いた方々。
  高槻市市民相談室、高槻市議会事務局、市議会議員
 私達が生活していくのに一番身近な行政は、市役所(役所とも言う)です。
役所は、主に、住民と直接向かい合う場所・建物を指すことが多いが、組織を指す場合もある。俗に「お役所」ともいうが、この場合には組織を意味することが多い。特に建物自体を指す時には、庁舎と呼ぶ。
今回は、市役所の本庁(〒569-0067 高槻市桃園町2番1号 )を訪問することにしました。

高槻市の生い立ちは、大阪平野の北東にあって、京都と大阪の中間に位置しています。
北は北摂山地に連なる山並みと丘陵、南は山間から流れ出る芥川・桧尾川などによって形成された平野が広がり、 琵琶湖から大阪湾に流れる淀川が市域の南の境になっています。
高槻はこうした変化に富んだ地勢と、淀川・山陽道(のちの西国街道)という水陸2大交通路の要衝であったために、数多くの歴史を有してきました。
昭和40年代から50年代前半にかけて、大阪市及び京都市のベッドタウンとして宅地開発が進み人口が急増、1975年には30万人の大台に到達した。なお 市内の人口動態については、主に居住用のマンション建設が相次いでいる摂津富田駅、高槻駅周辺では増加、市北部の山際に広がる団地群や市南部の淀川近くに広がる旧来の市街地においては減少という形になっている。

行政区域の主な変遷(明治以後)
1871年(明治4年)高槻藩が高槻県と改組。
1889年(明治22年)高槻村と上田辺村が合併し、島上郡高槻村(町村制)が発足。
1943年(昭和18年)高槻市となる。
1956年(昭和31年)三島郡富田町を編入。
1958年(昭和33年)京都府南桑田郡樫田村を編入。現在の市域となる。
2003年(平成15年)大阪府下2番目に中核市へ移行。

市役所は、行政を行うところですが、立法を行う議会もあります。
高槻市の行政は開かれた行政府です。市議会は市民の選挙で選ばれた議員で構成しています。
今回は、議会の仕組みや役割、行政の長(市)との関係等を学び、施設を見学しました。

以 上    


このページの先頭へ戻る