わがまち紹介
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平成21年9月 わがまち紹介
" 富田の老舗料亭「きんなべ」:高槻富田 "
【 その1/2】

老舗料亭「きんなべ」の場所は、高槻市富田町5−18−17です。
JR摂津富田駅の南口を出て、大きな道路を真っ直ぐ南に進むと富田公民館があります。
その前には本照寺がありさらに30m程度進むと「きんなべ」に着きます。
住宅地の中にあってあまり目立ちませんが、「きんなべ」はおちついた雰囲気の料亭です。
江戸時代前期の地図によると、長福寺というお寺があった場所です。
主人によると、本家は本照寺の南門前にあり、平安時代から続き、「きんなべ」は本家より分家して9代目とのことです。

← 道路より見た「きんなべ」
 料亭の母屋は、明治の末期に富田駅を作るため、駅から富田村への道路を拡張することになり、建物の一部(西側の1/4程度)が削られたために、棟が建物の中央にないことが道路からよく見るとわかります。
 玄関への通路
昼間の玄関は、厚い木製の扉で閉まっています。夕方になると客を迎えるために開門されます。 玄関脇に綺麗な苔で覆われた蹲があります。

外観(北側から)/外観(南側から)

門から玄関へ/苔に覆われた蹲

母屋の建物は、先代が、約50年ほど前に、江戸時代中期(約300年前)の建物の骨格をそのまま残し、宮大工によって時間をかけて住居として改修されたもので、先代の話では、もとは尼寺であったそうです。
 現在は特別客室として使用されています。 外国のお客もたくさん見えるようになり、一室は掘りコタツで腰掛けられるよう改装し、中庭が綺麗に見え非常におちついた豪華な部屋です。

↓ お座敷の建物は、約150年前の庄屋時代の建物を改修したものとのことで、 母屋は住宅として使い、お座敷の建物は、客間として使用されていたそうです。
戦中戦後は、先代が村の世話役をしておられ、疎開者の住居に提供され、室内で料理もされたため、柱・天井板や建具が焼き杉のようになっていました。洗い屋を入れて手入れされ、黒光りのした趣のある部屋となっています。

応接間

特別客室/鯉が泳いでいるテーブル

中庭の見える特別客室

大広間/客間


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