わがまち紹介
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平成21年7月 わがまち紹介
" 高槻の歴史を今に伝える地域:下田部地区 "
【 その2/3: 一念寺 】

← 下田部高札場
江戸時代後期に建てられたものです。
幕府や高槻藩の法度、定め書きを庶民に知らせる為の広報板です。
高槻市内には梶原の西国街道沿いと下田部の2ヶ所に残存していたが、現在は下田部に現存するものが市内で唯一のものとなった。
高札場の前の道路は、大将軍神社の説明板にも記載していますが、交通の要所であった様です。

下田部高札場

一念寺の山門前にて

一念寺
一念寺では、住職さんから詳細の説明をして頂きました。
金剛山一念寺は、今を去る300年前宝永2年(1705)、恵教法師が浄土真宗本願寺派本願寺(西本願寺)第14世寂如上人の直弟子となり、大阪府摂津国嶌上郡下田部村の有志の助力を以て建立された。
当時は、下田部の村の門徒数は12〜13檀家程度でこのような大きなお寺が建てられたようです。

宝永2年8月1日寂如上人より、現在のご本尊阿弥陀如来の木造と宗祖親鸞聖人、聖徳太子、七高祖(龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導太師、源信僧都、源空上人)歴代ご門主(良如上人1630年、本如人1799年)の各絵五幅が下付された。
同時に、現在にの本殿と内陣のお荘厳が整えられた。その後文化7年(1810年)当住職恵輪のとき大修理された。

本殿にて

近くは大正6年(1917年)の水害を初め昭和9年(1934年)の室戸台風等、度重なる水害、風害にも耐え苦難をのりこえてきた。
平成元年(1989年)に門信徒の懇願により大改修に至る。
この平成の大改修時の門徒数は37檀家でなった。
平成の大改修では、全面大改修と親鸞聖人の銅像も境内に創建された。

本殿の入り口/親鸞聖人の立像

本殿内のふすま絵右/左


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