水無瀬の滝は、天王山に源を発する高さ約20mの美しい滝です。この滝は水無瀬離宮を築き、水無瀬野での遊猟を楽しまれた後鳥羽上皇も行幸されるなど、古来より広く知られ、水無瀬川とともに歌枕となっています。 大きな滝ではないが、なかなかいい、ひんやりしてくる。 滝は、上半分が女滝といい、急な岸壁を伝うように流れ落ち、下半分は男滝で一気に滝壺へ落下する。滝のかたわらには龍神が祭られている。 この滝はどんな日照りにも水が絶えないそうです。 名神高速道路の音が聞こえないと良いのですが。 水無瀬の滝の案内は、「ふるさと島本案内ボランティアの会」の野田さんにして頂きました。 野田さんの子供の頃「水無瀬の滝・小川」で遊んだ想い出の話もして頂きました。 |
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水無瀬川は万葉集以来しばしば歌に詠まれた名所、すなわち歌枕である 「言急かは 中ゆ淀まし 水無瀬川 絶えてそ事を ありこすなゆめ」柿本人麿 「ことに出てゝ 言はぬ計そ 水無瀬川 下に通ひて 恋しきものを」 紀 友則 「見わたせは 山本霞む 水無瀬川 夕は秋と 何おもひけん」後鳥羽院 |
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水無瀬川堤防/西福寺 |
水無瀬住宅開発/ヨーロッパの町 |
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水無瀬の滝は、水源を天王山西尾根の深谷に発し、天王山断層により生じた滝です。 現在でもかなりの水量があるが、王朝時代にはもっと豊かな水が流れおち、水無瀬川とともに、水無瀬の歌枕となっていた。 この滝の本体は雨をつかさどる神としての「竜神」である。滝の左手すぐそばに小さい祠(ほこら)があり、「八大竜王」「白姫竜王」「玉竜大神」などと彫りこんである。つまりこの滝の本体が、雨をつかさどる神様、「竜神」であることを表わしている。 |
水無瀬の滝の近くの西側で、住宅開発が行われています。 宅地のブロック毎にヨーロッパの国の名前を付けて、イギリス街区、フランス街区、オランダ街区、イタリア街区など名付けいます。 ↓ 焼け残りの表門 旧社家石上家の表門である。元治禁門の変に敗れた真木泉らが立てこもる天王山を幕軍は砲撃し、山崎の社寺、民家百数十が焼失した。この門は母屋から離れていて焼け残った。 門の前には、松尾芭蕉の句碑があります。 |
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水無瀬の滝 |
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西国街道 山崎宿 ここは、かつては山城国と摂津国の国境に当たり、宿駅が置かれました。いまでも、JR駅前広場の北側が京都府大山崎町、南側が大阪府島本町山崎に別れ、駅の構内をはじめ、お隣、お向かいが別の府町という街中の国境です。 駅前には、国宝の茶室「待庵」が残っています。 離宮八幡宮の西側には、百余年の歴史を持つ大きな料理旅館が営業されています。 | ||
サントリーウイスキー前 |
焼残りの表門/松尾芭蕉の碑 |
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