水無瀬神宮は、淀川の右岸、対岸に石清水八幡宮が 望める島本町にある。社地は、後鳥羽天皇が生前こよなく愛された水無瀬離宮跡地です。 往時の水無瀬離宮は、桜、山吹、菊の名所として知られ、 天皇は京の都から舟でたびたび離宮へ来ては、歌合せ、蹴鞠、狩猟や刀剣鍛錬等も行われたという。 後鳥羽天皇崩御後、天皇を供養するために天皇の肖像画(藤 原信実(のぶざね)筆)と天皇の「御手印置文(おていんおきふみ)」を形見として奉安してきた御影堂(法華堂とも)が水無瀬神宮のはじまりという。 水無瀬神宮の案内は、「ふるさと島本案内ボランティアの会」の水田さんにして頂きました。 「御手印置文」や、「燈心亭」の内部写真等を見せて、説明して頂きました。 |
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境内には、拝殿・本殿・桃山末期に建造されたという客殿などがある。 客殿は、豊臣秀吉が家臣の福島正則に命じて造営し、寄進したと伝える建築物で、国の重要文化財に指定されている。その他にも国の重要文化財に指定されている、茶室「燈心亭」もある。 「燈心亭」は、にじり口がなく、外に開放された造りを持つ、全国でも大変めずらしい茶室です。 水無瀬神宮の鳥居や碑が昭和15年建立、石灯籠が明治11年奉献とお聞きしました。 |
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水無瀬神宮鳥居/御由緒説明板 |
薬医間造り神門/石川五右衛門の手形 |
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茅野輪(ちのわ)くぐり「夏越しの大祓」 茅の輪は、古来より魔除けに使われました。これをくぐると、病気にならないなどといわれます。「茅の輪くぐり」と呼ばれる儀式です。 昔、日本の宮廷では、六月最後の日と、十二月最後の日に、魔除けの儀式が行なわれました。水無瀬神宮でも年2回とお聞きし、今も伝統を守っておられます。 水無瀬神宮では、6月中「夏越(なごし)の大祓(おおはらへ)が奉納されるとのことです。 阿久刀神社(高槻)では、年末に奉納されています。 |
↑ 神門は、薬医門造りの門で、本柱(前方)と控え柱(後方)の4本の柱の上に冠木や梁などを組み合わせその上に切妻屋根を組む形式です。 特徴は、屋根の中心の棟が、本柱と控え柱の中間(等距離)に位置せず、がやや前方に片寄り、本柱が控え柱よりやや太く、加重を多く支える構造になります。 門の柱には、石川五右衛門の手形なるものがある。 五右衛門は、神宝である大刀を盗もうとしたけど神威に打たれ、一歩も門内に入れずに手形だけ残して立ち去ったと伝えられている。 |
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茅野輪・拝殿前にて |
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← 境内の右手に、春日神社、柿本神社、星阪神社、稲荷神社の小祠が並んでいる。 → 大阪でただ一箇所、「名水百選」に選ばれた水がある。それが「水無瀬神宮」の「離宮の水」です。 → 水無瀬駒、 16世紀末に「将棋駒の銘は水無瀬家の筆をもって宝とす」といわれたように、能筆家で知られた公家の水無瀬家が4代にわったて駒銘を書いた。特に水無瀬兼成(かねなり)とその孫の兼俊(かねとし)がよく知られ、水無瀬神宮にその作品が残されている。 | ||
星阪神社/柿本神社 |
離宮の水碑/水無瀬の駒碑 |
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