月 日 | 平成21年6月18日(木) | 集 合 場 所 | 阪急水無瀬駅北出口 | 天 候 | 快晴 |
順 路 |
阪急水無瀬駅 → 水無瀬神社 → 水無瀬の滝 → 天神腰掛石 →
焼け残りの表門 → 宗鑑井 → 山門不入碑 → 国界碑 → 離宮八幡宮
→ 阪急山崎駅 |
そ の 他 |
「ふるさと島本案内ボランティアの会」の杉中宏さん他3名(水田・野田・浜田各氏)方に案内して頂きました。 本当に有り難うご在いました。 |
記
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島本町には、平成18年4月6日「流水と歴史のまち:島本町」、平成20年5月15日「歴史の宝庫・交通の要所のまち:島本町」の2回訪問しています。 今回は青葉の時期に、万葉いらい多くの歌に歌われている“まち”を散策したいと計画しました。 島本町は、古くから朝廷と大宰府を結ぶ山陽道(後の西国街道)が通っており、その環境下で繁栄してきた。 後鳥羽上皇はこの地をことのほか愛し、何度も行幸をしてついには水無瀬離宮を造営したほどであった。 上皇が亡くなった後、離宮跡は水無瀬神宮となった。 水無瀬神宮 当地は、貞観年間に惟喬天皇の別業地であった場所。 その景勝地に、後鳥羽上皇は水無瀬殿を造営し、水無瀬離宮と称されていた。 後、承久の変により、隠岐に流され、崩御された後鳥羽上皇の御遺詔により、水無瀬の旧跡に「御影堂」が建立された。 最初は「法華堂」と称されていたが、室町中期、後土御門天皇から、水無瀬宮の神号を賜った。 神紋は、天皇家を祀る菊の紋。 水無瀬川 万葉いらい秘めた恋にかけて多く歌われています。 " 見わせば山もとかすむ水無瀬川 夕は秋と何思けむ " (新古今集) 高槻市および三島郡島本町を流れる淀川水系の一級河川です。 水無瀬の滝 天王山に源を発する高さ20mの美しい滝。 古来より知られ、水無瀬川ともに歌枕になっている。 この滝の本体は雨をつかさどる神としての「竜神」である。 滝の左手すぐそばに小さい祠(ほこら)があり、「八大竜王」「白姫竜王」「玉竜大神」などと彫りこんである。 つまりこの滝の本体が、雨をつかさどる神様、「竜神」であることを表わしている。 宗鑑井(宗鑑屋敷) 関大明神社まえの旧家森村家は「宗鑑井(宗鑑屋敷)」のある旧家と伝わっている。 山崎宗鑑(1465-1553)は室町時代の連歌師、 俳諧師。滋賀県の草津で生まれ、若くから書をよくし,将軍足利義尚に仕えました。和歌の上の句と下の句を交互に詠み続けていく連歌をたしなみましたが,その貴族的な作法に飽き足らず,自由で滑稽味のある庶民的な俳諧連歌を始め,俳諧の祖といわれています。 |