わがまち紹介
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平成21年4月 わがまち紹介
" 高槻の歴史を今に伝える地域:安満地区 "
【 その1/5: 概 要 】

月    日 平成21年4月9日(木)
集 合 場 所 磐手公民館
天    候 快晴
順    路 JR高槻駅南 → 磐手校前下車 → 磐手公民館 → 桧尾川  → 磐手杜神社 → JR高槻駅or阪急高槻駅
そ の 他 磐手杜神社では、藤林藤文宮司さんが社務所で丁寧に説明をして頂きました。
有り難う御座いました。
 安満という名の謂は、一説によると安心して満足して暮らせるところ。 別所も桧尾川の露岸、住みよい場所と言う意味だそうです。 桧尾川
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磐手杜神社
磐手杜神社は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、齊主神(いわいぬしかみ)、姫大神(ひめおおかみ)、安閑天皇(あんかんてんのう)を祭神とする。
社伝によれば、天智天皇5(666)年藤原鎌足の勧請により創建され、初めは安満(あま)神社と称したという。
12世紀頃に春日神社と改め、建久6(1195)年、後鳥羽上皇がこの地を訪れたときには、社殿は秀麗にして壮大であったと伝えられる。
 しかし、天正年間に高山氏の兵火によって消失。
元和8(1622)年に現在の社殿が造営された。
歴代高槻城主の信仰厚く隆盛を極め、明治44(1911)年に大字別所の雲峰神社を合祀し、磐手杜神社と改められた。
緑濃い境内には、蛭子神社や千観神社などのほか、末社として市杵島神社、稲荷神社があります。
拝殿そばには、夜啼石と称する奇石がある。
高槻城主永井近江守の老臣長田文八會て当社頭に参詣し奇石を認めてこれを城下なる自己の庭内に運び置きたるに、毎夜「あまえいのう あまえいのう」との啼声ありければその霊石たるを知りて再び社頭にかえしたるより此の名あり。
 また社頭の森は、古来「磐手杜」としょうする歌枕の地として名高く、多くの歌人が作品を残している。
 なお、当神社では1月15日に氏子が揃って参詣し、その年の穀物の豊凶を占う「粥占いの神事」、 また、 毎年5月5日には、稚児が乗った三頭の馬が神輿とともに神社を巡る「神輿渡御神事(通称:馬祭)」が行われます。
五穀豊穣と村の安寧を願う農耕儀礼とし て、村の神事祭礼を担ってきた宮座が中心となり、伝統の祭りを守り伝えています。
磐手杜神社 宮司さんの兼務社は、八幡大神宮(芝生・八幡町)、稲荷神社(津之江)、筑志津神社(津之江)、春日神社(山手町・成合)で、非常にお忙しい方です。
宮司さんは、高槻の歴史をよくご存知の方です。
良い機会です、何なりと質問をして下さい。

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