わがまち紹介
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平成21年1月 わがまち紹介

"寺内町として栄えたまち富田 "
【 その1/2: 概 要 】

月    日 平成21年1月22日(木)
集 合 場 所 阪急富田駅南出口
天    候 曇り・雨
順   路 阪急富田駅 →  清蓮寺 → 筒井池公園 → 本照寺 → 三輪神社 → 阪急富田駅
そ の 他 @三輪神社では、好田安彦宮司様にお話をして頂きました。
A平成の大改修された拝殿内で説明を受けました。
 富田の町は、中世以前より一向宗の拠点である富田御坊の寺内町として成立し、江戸期には摂津最大の酒どころとして発展した町でした。
現在も2軒の蔵が伝統の酒造りを受け継いでおり、それぞれの蔵を中心とした古い街並みが残されています。
 富田の町は、平成17年1月20日「わがまち紹介」"やすらぎの神社仏閣・伝統の酒造り・福祉のまち"で訪問しましたが三輪神社には通るだけで訪問出来ませんでした。
今回は、三輪神社に重点をおいて、富田の町を訪問した。
富田の寺内町
 弥生時代以前よりの台地であり、富田の地名は「屯田(とんでん)」(律令制以前の天皇家の御料田)がこの地に存在したことに由来するとされます。
平安時代、藤原師輔から息子尋禅に譲られた荘園の中に「富田荘」が見られます。
後に天台座主となった尋禅によって比叡山延暦寺領に編入された。
後の戦乱で支配権が転々としたらしく、室町時代前期には室町幕府の直轄領となっており、臨済宗普門寺が創建された。
足利義満は妻の実家日野家の日野有光を同荘の代官に任じており、また、同家との関係の深い浄土真宗本願寺7世存如が光照寺(現在の本照寺)を創建した。
寛正の法難で延暦寺によって大谷本願寺を破却された本願寺8世蓮如を宥めるために管領細川勝元がこの地に寺地を与えて京都から立ち退かせようとしたが、蓮如が間もなく吉崎御坊に向かったために土地は一時店晒しとなった。
後に蓮如が加賀一向一揆を避けて戻ってきた後に富田荘の光照寺に一時滞在し、文明13年(1481年)に教行寺を建立して8男蓮芸を住寺とした。
以後富田は本願寺門徒が集まり、寺内町が形成されるようになった。
三輪神社
大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る三輪神社。
大和国三輪山に鎮座する大神(おおみわ)神社から勧請したとされる。
大神神社は、奈良県桜井市にある神社である。式内社(名神大)、大和国一宮で中世には二十二社の中七社のひとつとされた。旧社格は官幣大社。三輪明神とも呼ばれる。
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る。日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由などから「日本最古の神社」と称されている。
日本国内で最も古い神社のうちの1つであると考えられている。
富田の三輪神社はもとは普門寺の鎮守社とも、富田村の産土神(うぶすながみ)ともいわれています。
寛永16年(1639)に普門寺の龍渓禅師により再興され、寛延2年(1749)に社殿が修復されたことが、神社に残る奉加帳序や棟札からうかがえます。
 富田は、江戸時代の初めに酒造りが隆盛をきわめ、24軒もの造り酒屋があったといい、三輪神社は酒の神様を祀る神社として人々の信仰を集めています。
本殿、合の間、拝殿で構成される社殿や、灯籠、狛犬など江戸時代の建物や石造物がよく残っています。
社殿・絵馬所・末社春日社は、平成17年6月14日に市の有形文化財に指定された。

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