自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)は通称酒解神社。 天王山の頂上近くに鎮座する。式内社(名神大)で、旧社格は郷社。 自玉手祭来酒解神社は天王山上に位置し、神輿庫は現存する最古の板倉造りのものです。 |
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三社宮 |
神輿庫 重要文化財 |
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三社宮 天照大神、月讀大神、蛭子神 天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神(人格神)である。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。 月讀尊(つきよみのみや)は天照大御神の弟神であります。 蛭子神は、古くは海の神として豊漁や航海安全、交易などに霊験ありとされていた。今日では商工農業などあらゆる産業繁栄の守護神とされている。 |
自玉手祭来酒解神社(酒解神社) 延喜式内社で乙訓地方で最も古い神社です。 元々の祭神は山崎神・酒解神で、出自は不明であるが橘氏の先祖神であると言われている。 本殿の手前に建つ神輿庫は鎌倉時代の建築で我が国で現存する最古の「校倉造(はぜくらつくり)」の建物で、重要文化財に指定されています。 板倉は切妻造り本瓦葺きで、構造は分厚い角材を組み上げた形のもので非常に珍しい建物です。 |
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酒解神社 |
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山頂には、合戦に勝利した秀吉が築いた山崎城の跡が残っています。 ほんの2年足らずで取り壊されてしまったと伝えられており、現在は、井戸や石垣などの跡がわずかに残るだけですが、そこからは確かに人工的に造られたものであることを感じることができます。 | ||
山頂/井戸跡 |
観音寺 |
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天王山山頂(山崎城址)標高270.4m。天王山には南北朝時代のころから城(砦)が築かれていたようです。城跡として残っているのは羽柴秀吉が築いた山崎城(財寺城)のものと考えられています。 天正十年(1582)6月の山崎合戦で明智光秀を破った秀吉は織田信長の後継者としての存在を天下に知らしめるため、京都の喉元にあたる天王山に城を構え、自らの拠点にしました。この後、秀吉はライバルの柴田勝家を賎ヶ岳で倒したのちに大阪城築城を始め、天正十二年(1584)には、この城は戦に使われることなく取り壊されました。 |