→ 山崎宗鑑冷泉庵跡碑 宗鑑は寛正6年(1465)、滋賀で生まれた。家は足利将軍義尚に仕える一族。 佐々木高頼との一戦に破れ、世の無常を覚えて一休和尚の門に入ったという。 若いころから書道で立ち、連歌をたしなんだ。 29歳で管領・細川政元の家臣たちが興行する千句連歌で 飯尾宗祇・長谷川肖柏・宗長らの末席に加わる。 |
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JR山崎駅前/出発前の説明 |
山崎宗鑑冷泉庵跡/説明を聞く |
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↑ JR山崎駅前で集合し、ガイドの藤本さんから道順の説明を聞いて出発しました。 JRの踏切をすぎてすぐに天王山への登り道に入ります。 宝積寺(宝寺) (ホウシャクジ(タカラデラ)) の山門に前に、タラヨウの木があり、 青い落ち葉の葉の裏に爪で字を書くと、やがて黒く浮き上がる。 葉書の木などとも呼ばれ、郵便局のシンボルツリーとなっている。 小学生等が集めているとのことで多くは落ちていません。 |
宝積寺は、山城国(京都府)と摂津国(大阪府)の境に位置し、古くから交通・軍事上の要地であった天王山(270m)の南側山腹にあり、寺伝では神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により行基が建立したと伝える。行基は奈良時代に架橋、灌漑などの社会事業を行い、多くの寺を建てた僧です。 宝積寺の境内の紅葉を楽しむことが出来ました。 |
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大黒天門前/タラヨウの木を見る |
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奈良時代。天武天皇の第一皇子は、夢に出てきた龍神さんから「打出」と「小槌」をもらったそうです。 これで左の手の平を叩けば果報がもたらされるという。それから数十日後に、皇子は天皇の位を譲り受け聖武天皇となった。天皇は行基に命じ、景勝地「山崎」に小槌を奉納する寺を建立した。それが、宝寺とも呼ばれる「宝積寺」だそうです。 | ||
宝寺境内の説明を聞く |
宝寺境内の紅葉/天王山入り口 |
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