わがまち紹介
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平成20年11月 わがまち紹介

"天下分け目の天王山:大山崎"
【 その1/5: 概 要 】

月    日 平成20年11月20日(木)
集 合 場 所 JR山崎駅 改札出口
天    候 快晴
順   路 JR山崎駅  → 宝積寺 → 旗立松・三川合流展望台 → 酒解神社 →天王山山頂  → 観音寺(山崎聖天) → 大山崎山荘美術館 → JR山崎駅
そ の 他 @大山崎ふるさとガイドの会の藤本剛資さんに案内と説明をして頂きました。
Aハイキングスタイルでお弁当持参で参加。
宝積寺(ほうしゃくじ)
正式名は天王山宝積寺という。天王山の中腹にあり、宝積寺 通称 宝寺 と言い、現在は、真言宗智山派智積院の末寺である。
養老7年(723年)11月23日、聖武帝がまだ文武帝の太子の時、夢に龍神が現れ、打出と小槌を遣わされ、その後75日にして、元正天皇の御譲を 受けて神亀元年2月4日、帝に即位された。その後、聖武帝は奈良の都より乾(北西)の方角に、勝地を求めるよう、行基菩薩に勅命された。そして神亀元年この天王山の中腹に伽藍を建立さえることとなり、打出と小槌を御神器をして奉納され、 爾来当時を補陀落山 宝積寺、宝寺と称するようになった。

旗立松・三川合流展望台
天王山頂への登り道、八合目付近にあるのが旗立松です。
1582年におこった山崎合戦の時、秀吉が味方の士気を高めるため老松の樹上高く千成ひょうたんの旗印を掲げたところ、戦局に大きな影響を与え勝利を収めたといわれます。
松は六代目になりました。
眼下には淀川の流れ、大阪平野、京都盆地が望めます。
また、旗立松展望台から南へ約100mのところに、青木葉谷展望台があり、桂川、宇治川、木津川(西から順)の三川合流部が望めます。

玉手祭来酒解神社(たまてよりまつりきたる さかとり じんじゃ)(酒解神社)
延喜式内社で乙訓地方で最も古い神社です。
本殿の手前に建つ神輿庫は鎌倉時代の建築でわが国にある板倉では最古の例です。
重要文化財に指定されています。
板倉は切妻造り本瓦葺きで、構造は分厚い角材を組み上げた形のもので非常に珍しい建物です。

天王山
山崎の戦いの後「天下分け目の天王山」とか「今度が天王山」とか使われる様になるが、 丹波高原の余脈で、270m余の低い山であるが、対岸男山とは淀川をはさんで1Km余りの自然な関門をつくり、政治の中心の京都を控えての軍事上、交通上(陸・川)の要所として重要な位置でえあった。
頂上の古城跡は文明年間、山名弾正忠是豊の築城の後、山崎合戦直後に秀吉が改造したものと思われる。
江戸時代には山頂から十三峠・天王山・伏見に遠眼鏡をもった相場振りを配置し、大阪の商況を旗信号で京都に伝えていた。

観音寺(山崎聖天)
天王山麓に位置し、「山崎の聖天さん」として京阪神の人々から厚い信仰を受けているお寺です。
境内にある建物は禁門の変の余波ですべて焼亡し、今日見る建物は明治になって再建されたものです。
境内地の東斜面には昭和初期に植えられた桜が多くあります。
眼下には町の眺望が楽しめます。


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