←「畑山神社」は、天児屋根命と菅原道真を祀る。
社伝によれば、元亀年間(1570年代)、金仙寺の鎮守である三十番神を合祀して、殿舎や二重宝塔を建て、永福寺と名付けられたという。 慶長年間に火災で焼失。宝永3年(1706年)、現在の社殿や、多宝塔などが再興され、文化4年(1807年)編集の「山崎通分間延絵図」には、神社と寺院の混淆する様子が描かれている。明治元年(1868年)の神仏分離令により、同5年(1872年)、畑山神社と称するようになった。 |
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西国街道/一乗寺参道 |
畑山神社山門/拝殿 |
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昭和35年に永福寺の名残を伝えていた多宝塔が、埼玉県のユネスコ村に移築されたが、今も神仏習合時代の建物配置を偲ばす貴重な神社である。 当社が造営される以前の7世紀後半頃には、この地に、市内最古の寺院の一つである梶原寺が創建されていたとみられ瓦などが出土している。大門や四方院、末房などの小字名から、山陽道(西国街道)に南面して建てられ、延暦11年(792年)には、僧寺と尼寺があったことが『類聚国史』に記されている。 |
← 畑山神社 本殿(一間流造背面3間桧皮葺き)および拝殿(入母屋造桟瓦葺き)は江戸中期の建築である。 本殿の右には、クスノキの巨木があり、立て札が立っています。 多宝塔跡には、多宝神社が創建されている。 ↓延命地蔵尊・子育て地蔵 梶原瓦窯跡の近くに地蔵尊堂がある。 西国街道沿いには多くのお寺が有ります。法照寺・大泉寺・瑞應寺などが有ります。 |
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畑山神社拝殿/本殿 |
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←「梶原瓦窯跡」 田中寺の北側で高速道路脇の山麓の斜面には、7〜8世紀頃の瓦窯跡がある。跡地を示す碑のみです。 奈良正倉院文書には、天平勝宝8年(756年)、東大寺の造営にあたっていた造東大寺司が、梶原寺に6,000枚の瓦を発注したと記録が残っている。 当地で焼かれた瓦は、淀川沿岸まで運ばれて船積みされ、淀川から木津川を経て東大寺に納めたとみられる。 |
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梶原瓦窯跡 |
延命地蔵尊・子育て地蔵/法照寺本殿 |
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