→「神南備の森」は、上牧の歴史上重要な場所です。 上牧地区は、桂川・宇治川・木津川の洪水で土砂が運ばれ出来た土地との事です。 古代、淀川流域は、都の牧場(まきば)として知られ、上流の地において牧場があったことから上牧という地名がついたと言われています。 神南備の杜は神が宿る所の意味で、神南備神社があった。 明治9年東海道線開通の工事で神社は、上牧2丁目の春日神社に合祀された。 |
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神南備の杜跡/説明板 |
神南備の杜跡/こすもす児童遊園 |
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→「梶原一里塚跡」は、旧梶原村の東端に位置し、かつて、榎(えのき)を植えた1里塚が設けられていた。 1里塚とは、1里(約4Km)ごとに街道の路程(みちのり)の目印としたもので、高槻市域では、旧芥川宿(あくたがわじゅく)との二箇所にあり、今も芥川一里塚は現存する。 文化元年(1804)発行の『浪華講定宿帳』には、当地周辺に旅籠(はたご、旅宿)があったと記されている。 |
←「水あがりの地蔵さん」 梶原一里塚の堂内の地蔵尊は、かつて淀川沿の中村にあり、度重なる水害から守り継がれてきたもので、「水あがりの地蔵さん」とも呼ばれ親しまれている。 ↓ 田中寺<でんちゅうじ> 畑山神社のすぐ西側にある日蓮宗の封じ寺。 年中行事として、ガンや痔、ぜんそく、神経痛などを封じている。 山門の前に写真のような看板がありよくわかる。 |
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梶原一里塚/堂内水あがりの地蔵 |
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←「妙浄寺」は、題目宝塔と釈迦多宝二仏を本尊とする。 当初は、淀川沿いの井尻に位置し、享禄元年(1528)、日進上人が創建したという。明治22年(1889)と同29年に淀川の洪水があり、翌30年、本堂を西法寺へ移した正覚寺跡である当地に移した。 現在の堂は、昭和61年に建てられた。なお、この地の字名は神内といい、「土佐日記」で知られる紀貫之の古歌にも詠まれた、「神奈備の杜」に由来するといわれる。 | ||
妙浄寺説明板/本堂 |
田中寺山門/本堂 |
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