月 日 | 平成20年10月16日(木) | 集 合 場 所 | 阪急上牧駅改札出口 | 天 候 | 快晴 |
順 路 |
阪急上牧駅 → 神南備の森伝承地 → 妙浄寺 → 梶原一里塚 → 一乗寺
→ 畑山神社 → 田中寺 → 梶原瓦窯跡 → 延命地蔵尊 → 子育て地蔵
→ 阪急 高槻駅
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そ の 他 |
@一乗寺の住職さんには長時間、丁寧に説明をして頂きました。 本当に有り難う御座いました。 A西国街道は、歩道が完備していませんので気を付けて散策して下さい。 |
記
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上牧から高槻への西国街道には神社仏閣も多く散策を計画してみました。 神南備の杜については、前年に本澄寺の住職さんに上牧の歴史の話を伺った時に、訪問する事を決めました。 梶原一里塚の西国街道沿いには、神社仏閣が多く、一部に宿もあったようで、昔は休憩する人たちで賑わっていたのだと思われます。 参照"歴史の散歩道:高槻市上牧地区"もご覧下さい。 神南備の杜跡<かんなびのもりあと>(こすもす児童遊園) 「かんなび」とは「神の宿る杜」という意味。 この辺りには、711年に設置された山陽道の官駅があり、西国へ赴く都人が家族と別れを惜しんだという"別れの地"であったという。 1876年、東海道本線開通に伴う工事で森は姿を消してしまった。 梶原一里塚跡<かじわらいちりづかあと> 街道の一里(約4km)毎に榎を植えて路程の目印とした一里塚のあったところ。 江戸時代の街道絵図にも塚前に茶店があったことなど当時の様子が描かれている。 現在は、淀川沿いから水害を逃れてここに落ち着かれたという「水あがりの地蔵さん」の地蔵堂が建っている。 昔、一里塚には、遠くからでもわかるように大木が植えられていました。 梶原の一里塚は既になくなっていますが、裏にある椋の木の切り株がその名残を残しています。(ほとんど幹の部分が無い) 一乗寺<いちじょうじ> 「鍋 かむり上人」と呼ばれる日親上人が室町時代の1427年に建立。 日親上人の法難を狩野探幽が描いた「日親上人法難絵図」はこのお寺の寺宝。 開山堂前には、 昭和50年代に建てられた日親上人の銅像があり、その開山堂の横には、弁慶が馬をつないだとの伝説がある高さ33m、樹齢約800年の立派なクスノキの古木がある。 畑山神社<はたやまじんじゃ> 元々この地には、7世紀後半に建てられた高槻最古の寺院の一つ、梶原寺があったという。 現在の本殿および拝殿は江戸時代中期の建築。 本殿の横にはクスノキの巨木がある。 田中寺<でんちゅうじ> 畑山神社のすぐ西側にある日蓮宗の封じ寺。 年中行事として、ガンや痔、ぜんそく、神経痛などを封じている(電話予約制)。 梶原瓦窯跡 天平勝宝8年(756)、東大寺建立のために設けられた役所・造東大寺司(ぞう−とうだいじ−し)が四天王寺(大阪市)に14,000枚、梶原寺に6,000枚の瓦を発注したことが、摂津の国の役所が出した公文書から明らかになっています。 梶原寺、現在の畑山神社(梶原一丁目)のあたりにあったと考えられている古代寺院の一つです。 当時の建物はまったく残っておらず、伽藍(がらん)配置も定かではありません。 しかし、発掘調査で出土した瓦の研究などから、7世紀中ごろに建立された市内最古の寺院ということがわかっています。 |