わがまち紹介
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平成20年6月 わがまち紹介
"水との関わり深さを偲ばれる・水路のまち:東五百住・津之江町"
【 その3/5: 神社・明然寺・善照寺・津之江水路 】

五百住神社(春日・八坂神社)創建は不詳なれども,日本書紀の安閑天皇御宇に当村名が現われる。当時より村民の氏神として厚く崇敬されたと思われる由緒ある神社。
春日神社は、天智天皇が長津の宮(現在の高宮)に居られる時、この地春日に天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祀られたこと始まります。
八坂神社は、素戔嗚尊<スサノヲノミコト>、櫛稲田姫命<クシイナダヒメノミコト>、 八柱 御子神<ヤハシラノミコガミ>を祀ります。

五百神社鳥居/2神殿

明然寺/全景

明然寺
浄土真宗本願寺派のお寺。書道教室も開催。女瀬川第2号橋の前にある。堤から眺めると明然寺大屋根が一際目立っている。
善照寺
高谷山と号する浄土真宗本願寺派で、歴史は500年以上と古いが、平成13年に新たに立て直されたお寺。数少なくなった宮大工(京都・奥谷組)の手による建造物としてまだ木の香りがしそうな新しいお寺です。

如是は、常見寺住職が仏典から名付けられた地名で、女瀬川は川の名前です。
常見寺の北東の細い道を行くと水鳥が遊ぶ女瀬川の堤にあがる。東五百住2号橋の近くに明然寺、東五百住1号橋ちかくに善照寺があります。
女瀬川は、天井川だけに堤からはお寺さんの大屋根だけが際立って見える。
昭和42年(1967)7月9日 23時頃 女瀬川堤防決壊 天堂橋 上流80メートル付近 女瀬川右岸 手前は府道132号線. 如是小学校校門 運動場は泥で埋まった。

善照寺/全景

津之江水路
津之江地区は、堤防よりかなり低いので、農業・治水目的の井路(いじ)が発達しています。芥川支流の女瀬川堤防から北(上流)方向の津之江水路。大昔は農地だったのかも知れませんが今は完全に住宅地の中を縫う井路です。
北方こちらは南(下流)方向。女瀬川の下をくぐって井路が続くのですが、ここから芝生町三丁目境までは平成に入って水路が地下化された。

津之江水路

新川桜堤

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