利井常見寺<かがいじょうけんじ> 利井は、お寺の山号に当たります。 山号とは、寺名に冠する称号です。寺が山に建てられた時代に、所在を示す意味でその山に相応しい山号が付けられたといわれる。山号の起こりは中国で、禅宗の寺院に五山・十刹の制度が定められたのに始まる。 飛鳥・天平時代の日本では、寺が平地に建てられたため山号がなく、浄土真宗系の寺院では山号を付けないものもある。東西の本願寺は山号をもたない。 |
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常見寺参道/常見寺境内 |
行信教校・行信仏教学院 |
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常見寺の常見<じょうけん>とは、この世は永遠に続くもので不滅であるとする見解のこと。反対語は断見(だんけん)。つまり釈迦が在世の頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間が永遠に存続すると主張したものである。「見」とは見解・意見・見方のこと、あるいは邪見や執見との否定的な意味も含む。 人の一生・人生はこの世の一回限りであるが、死後もこの世界において固定の実体が不滅で永続するものであると肯定する見解をいう。 |
↑ 行信教校・行信仏教学院 境内に学校を併設するお寺は珍しいらしい。利井常見寺の住職(第19世)等が明治15年に創立。3年制が行信教校で、1年制の行信仏教学院がある。現在109名が修業されている。卒業生は約3000人におよび、本願寺派の勧学,司教の学階にのぼった人達も少なくない。行信教校の百余年の歴史を貫いて流れる建学の精神は、「仏の大悲心を学ぶ」という一語に尽きます。 |
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御堂にて/仏前でのお経 |
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断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解のこと。この世界・世間や我の断滅を主張したものである。「見」とは見解・意見・見方のこと、あるいは邪見や執見との否定的な意味も含む。 人の一生・人生はこの世の一回限りであるとして、死後やその運命を否定して、この世における善と悪の行為やその果報を無視し否定する見解をいう。 | ||
住職のお話 |
仏間の説明 |
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住職がお話して頂いた言葉 @煩悩<ぼんのう>身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働きを言う。 A娑婆<シャバ>は仏教から出た言葉で、「忍耐」を意味するサンスクリット語「saha(サハー)」の音写。 |