筑紫津神社の社殿横に消えかかった由緒書きがあった。神社の由緒書きから 「芥川の水流自然の低地に流れ、紆余曲折して澱江に入る。高月の西方平坦の地あり、土俗此の地に住む。 太古、素盞嗚尊、筑紫より御幸の際、本地に御仮泊、旅程の安全を祈るため、道祖の神を祀る。(上田の道祖神社はその古祀という)住民、尊の威徳を敬慕し鎮守の神として奉祀す。筑紫津神社は即ちこれなり。 津之江起源 本地は古来嶋上郡に属し、筑紫津と称す。当時澱江、本地の南方に流れ、風景絶佳の地なり。その後、御神号の津を頂き、水に因みて津江と称す。是れ、津の江の起源なり。 |
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「筑紫津」の「津」は、船が停泊する所、「渡船場」、「港」のことで、昔はこのあたりに港があったことを示す地名です。 今城塚古墳の出土品の円筒埴輪にヘラで「帆船絵」が描かれていたものがある。今城塚の船絵は、大型船の停泊を表している。淀川に大きい津があった事を意味すると言われています。 昔、「素盞嗚尊」が筑紫(福岡県)より御幸の際に、旅程の安全を祈るため、道祖神を祀ったところです。 |
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筑紫津神社参道/鳥居 |
龍王神社/弁財天/ |
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筑紫津神社は、南から入りますが参道の両側は民家で、鳥居をくぐると境内です。 社殿は東向きのようで鳥居の正面にない。 鳥居から右手にひときわ赤い鳥居が見えます。赤い鳥居の前には塀があり入れないが、太鼓橋があり、右に「善女 竜王神社」が鎮座、左に「弁財天」さんが鎮座されています。 境内奥のクロガネモチの大きい木は、高槻市の古木の一つです。 |
竜王神社は、市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ)を祭る。須佐之男神の剣から生まれた宗像三女神の一姫神。 弁財天は、水の神様がこの地を往来する人々を守ってきたことを偲ばせます。 弁財天(べんざいてん)の元はインドの古代神話に登場するサラスバティというインダス川の神様です。 水の流れは、音楽やよどみないおしゃべりに結びつき、芸能の神様としても信仰されています。近世では、「才」の字を「財」に改めて、金運のご利益を中心にしたところもあります。 | |
拝殿/説明板 |
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本殿の向かって左に対の石燈籠の奥に天照大神と彫られた石柱があります。天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神(人格神)である。 また右にも対の石燈籠の奥に熊野三所権現の石柱がたっている。 熊野三山は熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社からなり、それぞれの神社が祀る神の神霊の総称が熊野権現で、熊野三所権現とも言う。 |
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天照大神/石柱 |
熊野三所権現/石柱 |
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