わがまち紹介
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平成20年3月 わがまち紹介
“ 淀川から三島の表玄関:津之江 ”
【 その1/5: 概 要 】

月    日 平成20年3月13日(木)
集 合 場 所 高槻市役所生涯学習センター 1階
天    候 晴 れ
順   路 市役所  → 高槻市水道部 → 消防本部・中消防署 → 清掃局 → 芥川歩道橋・芥川 → 筑紫津神社 → 津之江南遺跡(津之江小学校) → 稲荷神社・アジャリの森 → 清水池 → 阪急高槻駅
そ の 他 高槻市消防本部 庶務課長 消防司令長 西島雄三氏及び中消防署の各部門の方々には、わかりやすく丁寧に説明して頂きました。
津之江地区の案内は、神保吉孝氏にして頂きました。 本当に有難う御座いました。
芥川中流の堤防沿いに、白壁の土蔵が点在する古い家並みがある。
津之江地区、周辺には古代の倉庫跡が密集した遺跡もあり古くから水運で栄えていた三島の表玄関の津之江。

高槻市消防本部・中消防署
 桃園町は高槻市の市役所を初め行政機関のある町です。中消防署は高槻市消防本部に併設され、主に市域のJR京都線以南を管轄しています。

芥川歩道橋<あくたがわほどうきょう>
名にあるように歩いて渡るか自転車でなければ通れない橋。
自動車に煩わされることもなく橋の中央から芥川沿いの北方あるいは南方にかけた高槻の山々の景色が一望できる。

筑紫津神社<つくしつじんじゃ>
芥川を渡りきって土手を下りた道を西へ突き当たり、左に曲がると公園と並んで筑紫津神社がある。
素盞鳴尊(スサノオノミコト)が祀られており、筑紫(九州)からやってきた素盞鳴尊がこの地に泊まり旅の安全を祈願した。
素盞鳴尊を敬った土着住民が「津」を頂き道祖神 に築紫津神社と命名して鎮守としたのが神社の始まり。
芥川の水に因む江をつけ周辺一帯を「津之江」と呼ぶ起源になったようだ。
古くから一帯には大きな村落 があったようで、それを裏付けるのが津之江神社で地名探索や古代史探りに興味がある方は寄り道をお勧めする。
こじんまりした筑紫神社内には素盞鳴尊の娘にあたる市杵嶋姫を祀る神社や様々な碑がある。

津之江南遺跡<つのえみなみいせき>
1972年の市立津ノ江小学校建設にさきだつ調査で、その存在が知られるようになった。
遺跡は、通称「アジャリの森」の東側一帯に広がっている。
これまでに旧石器時代をはじめ、弥生時代から鎌倉時代にかけての住居や墓が多く調査され、長期間にわたる集落遺跡であることが明らかになってきた。
2万年前には、この付近の広野は食料を求めて移動する旧石器時代の人たちの良い猟場となっていた。

アジャリの森
稲荷神社の中に説明用立て札があり、それによると、津之江の鎮守―アジャリの森―、ここ稲荷神社の一帯には津之江南遺跡がひろがっています。
小学校付近の発掘調査では約2万年前の後期旧石器時代のキャンプ跡をはじめ、弥生時代から鎌倉時代にわたる集落や墓地が確認され、この地域の長い歴史を物語っています。

清水池
憩いのオアシス池で新池とも云われる。
芥川の伏流水がわき出る。
「オアシス構想」に則り池の整備が進められています。
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