物集女街道は、北は京都市西京区の樫原(かたぎはら)で山陰街道から分かれてまっすぐ南下し、京都府向日市物集女町を通って、寺戸で西国街道に合流している。 古来、西国街道と山陰街道をつなぐバイパスとして利用されてきた。 物集女:物を集める女と書いて「もずめ」と発音する。地名の由来は、河内国大鳥郡の百舌鳥(もず)に勢力をもっていた一族が、この地に移り住んだことによるとされている。 「物集女」はかなり古くから記録に出てくる地名で、9世紀ごろの記録には「物」と「集」の2文字だけで「もず」と発音していた事例も見られるとのこと。 |
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向日市は、鶏冠井町・上植野町・寺戸町・向日町・物集女町・森本町からなっています。 現在の向日市民会館から南、旧西国街道と物集女街道とが交差するあたりでは、宿屋・油屋・酒屋・醤油屋・呉服屋・魚屋・質屋・両替屋・医者など、多くの商店や職種の人々が軒を並べていました。 ところどころに大きな屋敷跡と思われる家が見られます。 |
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物集女街道 |
道路元標 |
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↓ 現存する須田家住宅(屋号を「松葉屋」)は、当時の面影を残す数少ない建物です。 明治30年代まで醤油の製造販売を営んでいた旧家です。 西国街道と物集女街道の分岐点にあり、元和2年(1616)に作成された上之町検地帳にも記載されています。 近年復元修復され、京都府の指定文化財(建造物)に指定されており年2回ほど申込制により公開されています。 |
↑ 道路元標は向日町の基準点となっていた。 道路元標(どうろげんぴょう)(※2)とは、道路の起終点を示す工作物です。旧道路法(大正8年制定)では各市町村に一個ずつ設置することとされていた。 設置場所は、府県知事が指定することとされており、ほとんどは市町村役場の前か、市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた。 現在は設置義務がないためいつの間にかなくなってしまった道路元標も少なくない。 |
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向日神社前の説法石 |
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西国街道のうち京都から西宮の区間を指し「山崎街道」「唐街道」といった。大坂を経由せずに西国へ抜ける脇街道として西国大名の参勤交代に利用され繁栄した。 → 築榊講常夜灯は天保13年(1842)に伊勢参りの講(※3)の一つ築榊講の人々によって建てられました。現在は、家並みの谷間になっていますが、かつては一際高く明かりが灯され、西国街道を往来する人々の安全を祈っていました。 | ||
須田家住宅/西側 |
築榊講常夜灯/西国街道標示 |
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※1鶏冠井:もともと蝦手井(かえるで)と言う地名だった場所で、やがてなまって”かいで”と呼ばれるようになったそうです。これが”鶏冠井”という現在の字になったのは安元2年(1176)のこと。 ※2道路元標の大きさは、高さ60cm、幅・奥行きは25cmと決められています。 ※3「お伊勢講」:現在の向日市内の村々では、資金を積み立てて交代でお伊勢参りをする伊勢講が多数作られました。 |