新屋坐天照御魂神社 延喜式神名帳には「新屋坐天照御魂神社 三座 並名神大。月次新嘗。就中天照御魂神一座預相嘗祭」と記載されている。すなわち名神大社に列し、さらに祭神のうちの天照御魂神は相嘗祭に預るということで ある。相嘗祭に朝廷より幣帛を奉られる神社は全国で40社71座のみである。かつては3社とも広大な神域を有していたが、中世以降、次第に社領を失い、社勢が衰えて行った。 |
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新屋坐天照御魂神社鳥居 |
新屋坐天照御魂神社境内と本殿 |
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西河原の新屋坐天照御魂神社は、現在の磯良神社(疣水神社)の位置にあった。磯良神社は元は新屋坐天照御魂神社の境内社であったが、磯良神社の玉の井(疣水)は痣取りに霊験があるとして崇敬を集めるようになり、ついにはこちらが本社のようになった。寛文9年(1669年)、新屋坐天照御魂神社は旧社地の西北の隅の現在地に遷座され、同12年に社殿が造営された。 |
鴨神社<かもじんじゃ>は鴨氏の祖神を祀る。 主祭神は、大山祇神(大山積神、大山昨神とも)。和多志(わたし)の大神とよばれる 航海の神であるが、洛北の上賀茂神社の祭神賀茂別雷神<かもわけいかづちのかみ> の父神である。 この神社は、もと淀川に突き出た土地(御島)であったが、慶長3年(1598)淀川堤の修築に際し、三島江の現在地に移された。この地域の産土神社として伝承されている。 |
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鴨神社本殿/内部 |
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御島の鴨氏は、のち芥川・女瀬川に沿って北上した。 三島江から北西約5kmの地に鴨林<かんばやし(現・赤大路の北端)>の地名が残る。 古くは社地1町2反余りで、森々と樹木繁茂し、社地前に田地が広がっていたという。 丹塗りの矢が流れ来て懐任する「矢孕み」(やはらみ)伝説は、下鴨神社に伝わる神話と同じ(屋根が朱色なのはそのためか)。 北山城の下賀茂・上賀茂両社−三島江の三島鴨神社−赤大路の鴨神社、この三社は深くつながる。 | ||
鴨神社参道/鳥居 |
鴨神社説明板/説明資料 |