わがまち紹介
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平成20年1月 わがまち紹介
" 新春の三島地区を散策:総持寺・三島町地区 "
【 その3/4: 疣水磯良神社 】

 総持寺の東門を出ると旧街道筋に出ます。東に20mほど進むと光明寺ここで北に進むと薬王寺へ。更に進み奥の院踏切を渡って、三島公園を通り疣水神社へと進みます。
  ちなみに街道とは名ばかりの路地のような狭い道もあり、何回も迷いながらの行程です。昔は多くの巡礼者が通ったことでしょう。総持寺以西を巡礼街道とも呼び、五日市、宿川原にある二つの橋が巡礼橋と呼ばれたともいわれている。

総持寺北門と街並み

光明寺/奥の院踏切

 磯良神社は「疣水神社」の通称で知られています。
当神社の御祭神・磯良大神は九州安曇氏の祖神として知られ、また住吉三神とともに神功皇后三韓への御征途に際し、水先案内をされて航海の安全に功があったと伝えられます。 当神社はもともと式内社・新屋坐天照御魂神社(天照御魂神社)の境内社でありましたが、寛文九年(1669)、天照御魂神社が現在の地に御遷座されてより相離れて今日に至っているとのことです。

 神功皇后と霊泉『玉の井』(疣水)
疣水神社には神功皇后のつぎのような伝承が残っています。昔、神功皇后が、三韓への御征途に際し、皇后はこの地に立ち寄られて天照御魂神社に御祈願あらせられ、社頭に湧き出る『玉の井』で顔をお洗いになった。すると不思議にも、洗われるや否やお美しい皇后のお顔がみるみる疣や吹き出物で覆われて醜い男のようなお姿になってしまった。

疣水神社本殿/鳥居

 『これは御神慮のたまもの』と皇后は力強く男装をされて、そのまま戦いの地へ向かわれたが、そのため女性の御身をもって敵に侮られることもなく、みごとな戦果をおさめられた。そして、御凱旋ののち夢のお告げにより再びこの『玉の井』で、顔をお洗いになると、お顔はたちまちもとの美しさに戻られたという。
今でも多くの方が信じて御冷水を拝受されています。

疣水拝受所/玉の井

稲荷神社/旧社地碑

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