わがまち紹介
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平成20年1月 わがまち紹介
" 新春の三島地区を散策:総持寺・三島町地区 "
【 その1/4: 概 要 】

月    日 平成20年1月17日(木)
集 合 場 所 阪急総持寺駅(西改札口)
天    候 晴 れ
順   路 阪急総持寺駅 → 総持寺 → 光明寺 → 三島公園 → 疣水磯良神社 → 新屋坐天照御魂神社 → 三島鴨神社 → 阪急富田駅
そ の 他 補陀洛山 総持寺では山主 中西隆英 住職に本殿の中で長時間わかりやすい説明をして頂きました。
本当に有難う御座いました。

総持寺・三島丘・城の前町・東大田・宮田町地区は、北摂の一部で古くは京から山陽地方に抜ける西国街道が通り、豪族や寺社の荘園が古くからあった地域であった。
比較的早い時期に大手資本により工場や交通の便の良いところとして社宅地として開発が進みましたが、今では大きなマンション群が立ち並ぶ住宅街に大変身してきています。

総持寺<そうじじ>
補陀洛山 総持寺 は、千手観音様を御本尊としています。
総持寺は、インドのガラン(伽藍)を訳して名付けられたとのこと。(皆様の願いを総て持ち備えた仏様のお寺という意味とのこと)
  当山は補陀洛山と号し、寺伝によれば中納言 藤原山陰 が父高房が抱いていた造仏の願を果たすため、遣唐使大神御井に頼んで白檀の香木を購入、千手観音像を造って摂津国島下郡に一宇を建立して安置、「総持寺」と名付けた。
寺伝は総持寺伽藍の落慶法要は、寛平2年(890年)2月4日と伝えられている。
 総持寺では観音様の他、薬師如来、地蔵菩薩、不動明王、弘法大師、稲荷大明神、如来荒など多くの仏様や神様をおまつりしています。
 西国22番の札所として、連日巡礼者でにぎわっています。
 今回、山主 中西隆英 住職より、総持寺の創建の話・浄土の話や西国巡礼の話をわかりやすく説明して頂きました。

磯良神社(疣水神社)<いそらじんじゃ(いぼみずじんじゃ)>
 正式名称は磯良(いそら)神社といいます。御祭神の磯良大神は九州安曇氏の祖で、住吉三神とともに神功皇后三韓への御征途に際し水先案内として航海の安全に功があったと伝えられる。
 もとは式内社・新屋坐天照御魂神社の境内社であったが、寛文9年(1669年)同神社が現在の地に御遷座されてより相離れて今日に至る。
 磯良神社は、疣水神社と呼ばれ、ここにある水を疣につけると疣が治るといわれるようになり、遠くからもこの清水をくみ取りに来る人がおられる。
境内の南側に本殿の元地や玉の井の祠がある。玉の井では紙コップが置かれており、神水をいれて社殿で拝んでから飲むとよいとある。今では「疣水神社」と呼ばれ親しまれています。
また昔は桜の名所であり、花見には大変賑やかであったそうです。
以前は天然記念物「いぼ桜」と呼ばれた淡い紅白色の八重桜があったそうですが、昭和19年に枯れてしまったそうです。
現在も境内には多くの桜があり、人々をたのしませている。

新屋坐天照御魂神社<にいやにいすずあまてるみたまじんじゃ>
 主祭神は天照御魂大神(あまてるみたまのおおかみ)、別名、天火明命(あめのほあかりのみこと)または饒速日命(にぎはやのみこと)。
 当社は延喜式神名帳(927年成立)に記載された古社である。
当地西河原の周辺はその昔新屋郷といわれ遥か古代から天照御魂神がお鎮まりになった。
名神大社の中でも相嘗祭(あいなめさい)に朝廷から幣帛を奉られた式内社最高の社格で府下には数社あるにすぎない。
天正(1573〜92年)の頃までは神域広大神事も盛んに行われ、近隣7ケ村の産土神(うぶすなのかみ)として崇敬された。
しかし戦国争乱等により衰運に傾き、寛文9年(1669年)社殿は旧神域の西北隅にあたる今の社地にうつり、同12年現在の社殿が新しく造営された。
現在、本社には主祭神の他、天兒屋根命・建御名方命(タケミナカタノミコト)を相殿に祀り、境内社には八幡神、住吉神、磯良神を祀る東之神社、速素盞鳴尊を祀る須佐神社、宇賀御魂神(うがみたまのかみ)を祀る稲荷神社がある。

鴨神社<かもじんじゃ>
 社伝によれば仁徳天皇の時代に百済より大山祇神を迎えて摂津御島に淀川鎮守の社を造ったのを創祀としている。
これは『伊予国風土記逸文』に「乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積の神、一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の国より渡り来まして、 津の国の御嶋に坐しき。御嶋と謂うは、津の国の御島の名なり。」とあることを根拠にしている。

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