わがまち紹介
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平成19年10月 わがまち紹介
"歴史の散歩道:高槻市上牧地区"
【 その3/4: 本澄寺 】

本澄寺は、法華山と号して日蓮宗に属し、日蓮聖人顕示の大曼陀羅を本尊とする。  寺伝によれば、文明3年(1471)に権大僧都日順が創建、第2世に京都の公卿烏丸資任卿(からすますけとうきょう)が領主となる。
摂津の国の守護代、薬師寺一族の統治となる。
足利将軍の義稙(よしたね)公の祈願所となる。

本堂/本堂正面

住職のお話/話を聞く会員

以前の祖師堂は、宝蔵と拝殿に別れていたが、今は一体になっています。
天井・側壁まで絵画が描かれた宝殿の中に、元亀元年(1570)、上牧法華村の住人富松兼重(のち牧兼重に改姓)が、織田信長に従って出陣した際、若狭国小浜にて日蓮自作と伝えられる日蓮聖人像を感得、当寺に持ち帰ってた「除厄日蓮聖人」が安置しているお堂が有ります。
拝殿の天井や建具の戸には重厚な彫刻がされています。

本澄寺境内は、330年前の絵図とあまり変わらず、本殿・祖師堂・鐘楼堂・書院等が有ります。
絵図では、ソテツが本堂前や書院の東に大きく描かれています。
ソテツはソテツ科の常緑低木で,九州南部から沖縄にある植物で、当時から当寺が沖縄との関係が有ったとことを意味します。
ソテツの株の大きさからその歴史を感じる事が出来ます。

宝堂内部/日蓮聖人安置

江戸時代初めに東福門院(後水尾天皇の中宮)が祈願して以来、多数の信仰を集め、「厄除けの高祖」像とも呼ばれて崇められている。
今年も10月に夜を徹して法要が行われました。
本堂でエイサー奉納が行われるのも非常に意義深いことと思います。今でこそエイサーが芸能化していますが、本来は祖先の霊を慰めるものとして永年行われていたものだからです。

本堂仏壇/参拝する会員

祖師堂天井/建具戸

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