わがまち紹介
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平成19年10月 わがまち紹介
"歴史の散歩道:高槻市上牧地区"
【 その2/4: 上牧・本澄寺 】

阪急上牧駅は、昭和9年(1934)京阪電気鉄道新京阪線の「上牧桜井ノ駅」として開業した。
昭和14年に「水無瀬駅」開業により「上牧駅」に改称された。上牧駅から南に約150m歩くと上牧交差点(国道171号線)に出ます。ここに本澄寺の道しるべの石碑があります。
かっては、淀川から船で本澄寺を訪れる人のために、港には灯籠があり、お寺までの道しるべが置かれていた。今は本澄寺の正門前にその灯籠が移されています。

国道脇の道標/新川沿いの道標

本澄寺門/祖師堂

国道の上牧交差点を過ぎ、南に進むと、東側に「金光高校・中学校」があります。
道に沿って流れる川は、500年以前から「新川」と呼ばれている歴史ある川です。
上牧地区は、東に新川・西に内の池・南は淀川に囲まれた領土であった。
領内には、本澄寺、春日神社、中屋敷、大垣内(おおかいと)、上(かみ)・下(しも)・辻(つじ)城垣内(じょうのかいと)、奥殿垣内(おくとのかいと)の屋敷が有った。
本澄寺には近くに11坊の末寺もあった。

奈良の都を中心に考えると、大和川・大阪湾・淀川で囲まれた地域を河内と言い、その外側を摂津と言った。
摂津の中心が尼崎のあたりになり、冨松城を築き統治していた。ここに居たのが薬師寺一族の「富松元利」であった。
冨松元利が上牧村に居を移し「牧」を氏と名乗った。元利の子どもは、牧元清は豊臣秀頼に仕え、後浪人となり上牧にかえる。
元利の子の牧兼重は、細川家重臣で、厄除けの粗師像を本澄寺に安置した。

二王門の像/像

三好達治は、明治33年(1900)に大阪で生まれ、萩原朔太郎に師事、「測量船」や「一点鐘」等の清新な詩集を出して活躍した。記念館には自筆の原稿や写真、著書、愛用の品々などが保存・展示されている。
約330年前の境内の図に大きなソテツの木が描かれています。今も本堂前に大きなソテツの木があります。
三好住職は、沖縄問題にも造詣が深く、沖縄の問題を真剣に考えておられます。

境内の説明板/蘇鉄

三好達治記念館/境内の石碑

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