平成19年10月 わがまち紹介
"歴史の散歩道:高槻市上牧地区"
【 その1/4: 概 要 】
月 日 | 平成19年10月18日(木) | 集 合 場 所 | 阪急上牧駅 | 天 候 | 快 晴 |
順 路 |
阪急上牧駅 → 本澄寺・三好達治記念館 → 春日神社(上牧) → 鵜殿葭の原碑 → 道鵜町(バス停) → JR 高槻駅
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そ の 他 |
本澄寺の住職さんには、本澄寺の本堂・祖師堂の見学と説明のみならず、本澄寺の歴史やその背景をわかりやすく説明して頂きました。 山本タミ子さんに、本澄寺から春日神社(上牧)への道を案内して頂きました。 本当に有り難う御座いました。 |
記 |
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淀川は、古くから政治・経済・文化の発展に大きな役割を果たしてきました。そして今も、私達に貴重な飲み水のほか、河川敷の豊かな自然は、憩いや安らぎ、心の潤いを与えてくれています。 このコースは、本澄寺・春日神社をはじめ、河川敷に広がる自然や、流れに秘めた数々の歴史や雄大な眺めです。誰もが淀川の偉大さ・大切さを改めて感じながら、ゆったりとした気分にひたることのできる散策コースです。 本澄寺のある上牧という地名は、「上の牧場」つまり天皇の放牧地だったことから来ていて、この辺り一体が天皇や京都の公家のための領地だったようです。 上牧地区は淀川の上流の川から流されてきた土砂で高台になり、「神南備の森」と言われ、木が生い茂った森が有ったようです。 この跡は梶原3丁目の「こすもす児童公園」辺りだそうだが、現在は説明板を残すのみ。 「神南備」とは、”神の宿る所”の意味で、この神南備が自然のうちに『上牧』になったとも言われています。 本澄寺・三好達治記念館<ほんちょうじ・みよしたつじきねんかん> 文明3年(1471)の創建、足利将軍や京都の公卿烏丸家が崇敬していたといわれる本澄寺。元亀元年 (1570)若狭国小浜にて日蓮自作と伝えられる日蓮聖人像を当寺へ移されたと伝えられています。本堂の祖師像(日蓮像)は、「厄除けの高祖」と呼ばれて信仰を集めまています。 境内には、15世紀以来上牧・ 鵜殿一帯の荘園領主であった烏丸家の領界石、また『測量船』などでしられる詩人・三好達治の、直筆の原稿や書簡などを保存・展示している記念館や墓があります。 本澄寺の住職は、昭和の詩人「三好達治」さんの甥にあたられる方で、沖縄のことを研究され日本の平和の事を真剣に考えておられる方です。 春日神社(上牧)<かすがじんじゃ (かんまき)> 春日神社は、天児屋根命・菅原道真を祭神とする。 はじめ一の宮と呼ばれ春日大社の一座であったが、延喜元年(901)菅原道真が九州の大宰府に赴く途中立ち寄った縁から、のちに当社に合祀されたといわれる。 享和2年(1802)の洪水で記録が流出し、創建の年月は不詳であるが、旧上牧・鵜殿・井尻各村の鎮守として信仰が厚かった。大正4年(1915)には、古歌にも詠まれた「神南備(かむなび)の森」の神南備森神社を合祀している。広い境内には、榎や樟などの古木が生い茂り優れた景観を有している。 鵜殿葭の原碑 ヨシ焼きの記念碑 場所は、桂川、木津川、鴨川の3本の川が合流して淀川になるところである。この場所にヨシが生い茂っていて、一年に一度、野焼きが行なわれる。 昔は単に刈っていただけであった。ヨシは燃料、屋根、すだれ、笙(雅楽器)等に利用されていた。 ところが、燃料としてはプロパンに、屋根(わらぶき、ヨシぶき)は瓦に、とって代わられて、わざわざヨシを刈り取って利用するという風習はなくなった。しかし、そのヨシ原に雑草が増えつづけるようになったため「ヨシ焼き」が実施されるようになった(昭和27年ころ)。つまり昔からの伝統行事ではないということになる。「ヨシ焼き」が行なわれるようになったある時期、飛び火のため家屋が全焼するという事故が起こり「ヨシ焼き」を中止したこともあった。そうなると、また、雑草が繁殖し過ぎたりして昭和50年に復活したのである。 毎年、鵜殿のヨシ原焼きは地元のヨシ保存会などで実施しています。 |