平成19年9月 わがまち紹介
"淀川を知り・京街道の宿場町を散策:枚方市"
【 その4/6: 枚方資料館 】
天正年間創業(1573〜92年)の船宿・鍵屋は今、資料館になっています。京街道に面した江戸時代の面影を残すこの町屋は枚方市の文化財に指定されています。 別棟2階に63畳の大広間があり、枚方市の文化行事を開催されています。 床の間前には、金の竜の欄間が揚がっている。 床の間柱、天井、ふすま、建具は高級料亭として使用されていたものが今もそのまま使用されています。 |
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西棟2階の大広間/建具 |
大広間の書額/書額 |
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大広間の北側通路からは、淀川や高槻市が一望出来ます。しかし高槻市側堤防に高層マンションが建設され、展望を阻害しています。 ↓ 西棟1階は、資料館として展示されています。 資料館には枚方宿発掘で出土したくらわんか茶碗や淀川舟運を興味深く展示している。 当時は各部屋で「鍵屋浦には錨が要らぬ、三味や太鼓で船止める」と唄われた程にこの船宿が賑やかで栄えていたと言うことなのだろう。 |
鍵屋前では「餅くらわんか、酒くらわんか」と乱暴な口調で酒や食べ物を売りつけるくらわんか舟が名物となり、その様子は歌川広重の「京都名所之内 淀川」や十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも描かれている。 鍵屋は「ここはどこじゃと船頭衆に問えばここは枚方鍵屋浦、ここは枚方鍵屋の浦よ綱も碇も手につかぬ、鍵屋浦には碇がいらぬ三味や太鼓で船とめる」 と「淀川三十石船唄」に唄われている。 |
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説明風景 |
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→ 天野川
稲作が始まったころに、この地をたたえてあまの(甘野)といい、川水を甘野川と言ったことが由来と言われています。それを平安時代、交野が原へ遊猟に訪れていた宮廷人が、歌合わせの際に、夜の大空に星の連なる「天の川」になぞらえたことから、この名が定着したと伝えられています。 この天野川にかかる橋も「逢合橋」(あいあいばし)と呼ばれ、年に一度、棚機姫(たなばたひめ)(交野市倉治の機物神社(はたものじんじゃ))と牽牛星(枚方市の中山寺)が会った場所と伝えられています。 | ||
資料館展示品/展示品の説明を受ける |
天野川の橋/旅の案内書 |