わがまち紹介
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平成19年7月 わがまち紹介
"淀川の偉大さ大切さと介護を考えるまち:大塚地区"
【 その6/7:西證寺 】

西證寺<さいしょうじ>
浄土真宗本願寺派 阿弥陀仏が本尊
開基の霊瑞は明応6(1497)年蓮如の直弟子として創建したと言います。
幕末に近い文化11(1814)年に再建されている。
もとは字仲の町というもっと淀川べりにあったのですが、昭和16年(1941)に淀川改修工事のため堤防が後退したので現地に移転した。

西證寺の門にて

本堂の外観

↑門柱の家紋に注意。
西本願寺の「下がり藤」と同じです。
西證寺の御堂にお参りして、まず目にしたのが、家紋です。
家紋は、その家の家系を表しますが、「菊」と「桐」の家紋です。
「菊」は、天皇家・「桐」は豊臣家の家紋です。
現在の本願寺の「家紋=寺紋」は、西本願寺が「下がり藤」で、東本願寺が「牡丹」となっている。
戦国時代以前における本願寺は、どのような紋章を用いていたのだろうか?
「牡丹」・「鶴丸」・「五七桐」が使用されていた。 「鶴丸」は、日野一族が鶴を紋章として用いている。 「五七桐」は、顕如上人が宮中との関係をもったとき許された。 「牡丹」は藤原氏の宗家である近衛家の正紋です。

↓住職の奥様にはお話をして頂き、見送って下さいました。

本堂の中と菊の家紋

明治36年西本願寺法主は、光尊長男大谷光瑞。 大谷光瑞の妻・籌子(かずこ)は、 公爵九条道孝の三女で、明治31年に結婚。 五摂家の一つである九條家と本願寺は昔より縁が深かった。
明治33年籌子の妹・九条節子(さだこ)が、皇太子(のちの大正天皇)とご成婚。 皇太子妃となったことにより、 大谷光瑞は、皇室と義兄弟という関係である。
家紋より西證寺は本願寺のお寺である事を示している。

説明を聞き満足した会員

西證寺 住職の奥様

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